・・・どうかあなたの下部、オルガンティノに、勇気と忍耐とを御授け下さい。――」 その時ふとオルガンティノは、鶏の鳴き声を聞いたように思った。が、それには注意もせず、さらにこう祈祷の言葉を続けた。「私は使命を果すためには、この国の山川に潜ん・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・何とまあ孩児の痛ましくさかぶぞい。じゃまあおやすみ」 彼れは器用に小腰をかがめて古い手提鞄と帽子とを取上げた。裾をからげて砲兵の古靴をはいている様子は小作人というよりも雑穀屋の鞘取りだった。 戸を開けて外に出ると事務所のボンボン時計・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・のあき袋をかぶせ、はしご段の方に耳をそば立てた時の様子を見て、もろい奴、見ず転の骨頂だという嫌気がしたが、しかし自分の自由になるものは、――犬猫を飼ってもそうだろうが――それが人間であれば、いかなお多福でも、一層可愛くなるのが人情だ。国府津・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・所無し 西眠東食是れ生涯 秋霜粛殺す刀三尺 夜月凄涼たり笛一枝 天網疎と雖ども漏得難し 閻王廟裡擒に就く時 犬坂毛野造次何ぞ曾て復讎を忘れん 門に倚て媚を献ず是権謀 風雲帳裡無双の士 歌舞城中第一流 警柝声はむ寒かんちようの・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・遊客も芸者の顔を見れば三弦を弾き歌を唄わせ、お酌には扇子を取って立って舞わせる、むやみに多く歌舞を提供させるのが好いと思っているような人は、まだまるで遊びを知らないのと同じく、魚にばかりこだわっているのは、いわゆる二才客です。といって釣に出・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・帳場の叔父さんの真面目くさった文字で、歌舞の部、誰、誰、と五人の芸者の名前が書き並べられて、謝礼いくら、いくらと、にこりともせず計算されていた。私は五人の名前を見て、一ばんおしまいから数えて二人めの、浪、というのが、それだと思った。それにち・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・その四本の足の下部を筋かいに連結する十字形のまん中がちょっとした棚のようになっている。ここが三毛の好む遊び場所の一つである。何か紙切れのようなものを下に落としておいて、入り乱れた籐のいろいろのすきまから前足を出してその紙切れを捕えようとする・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・女児一群、紅紫隊ヲ成ス者ハ歌舞教師ノ女弟子ヲ率ルナリ。雅人ハ則紅袖翠鬟ヲ拉シ、三五先後シテ伴ヲ為シ、貴客ハ則嬬人侍女ヲ携ヘ一歩二歩相随フ。官員ハ則黒帽銀、書生ハ則短衣高屐、兵隊ハ則洋服濶歩シ、文人ハ則瓢酒ニシテ逍遥ス。茶肆ノ婢女冶装妖飾、媚・・・ 永井荷風 「上野」
・・・一 若き時は夫の親類友達下部等の若男には打解けて物語近付べからず。男女の隔を固すべし。如何なる用あり共、若男に文など通すべからず。 若き時は夫の親類友達等に打解けて語る可らず、如何なる必要あるも若き男に文通す可らずと・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活溌なる者というべし。その風俗を異にするの証は、言語のなまり・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫