・・・例えば芸妓など言う賤しき女輩が衣裳を着飾り、酔客の座辺に狎れて歌舞周旋する其中に、漫語放言、憚る所なきは、活溌なるが如く無邪気なるが如く、又事実に於て無邪気無辜なる者もあらんなれども、之を目して座中の婬婦と言わざるを得ず。芸妓の事は固より人・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 前年外国よりある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻りに周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・「その方はアツレキ三十一年七月一日夜、アフリカ、コンゴオの林中空地に於て、故なくして擅に出現、折柄月明によって歌舞、歓をなせる所の一群を恐怖散乱せしめたことは、しかとその通りにちがいないか。」「全くその通りです。」「よろしい。何・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・ すると、俥夫達の背後に立ち、頻りにYを観察していた大兵の青帽をかぶった詰襟の案内人が、「上海へおいでですか」と訊ねた。我々は苦笑した。長崎というと、私共は古風な港町を想像し、古びながら活溌に整った市街の玄関を控えていると思って・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・京から来る旅商人などにきかれてこの土地の一番年よりかぶの爺はこうこたえるのがつねで有った。 二人の女君もうとしごろ弟君も、比まれに姿も心も美くしく生い立ったので「よいよめ良いむこなりともさがさねばならず……」あとにのこった若い殿の後見を・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・ 益軒の時代は、さっき触れたような商人擡頭の時代であって、歌舞、音曲、芝居なども流行をきわめ、上方あたりの成金の妻女は、あらゆる贅沢と放埒にふけった例もあった。西鶴の小説が語っているような有様であったから、近松の浄瑠璃が描き出しているよ・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・窓に金色の楯に王冠をかぶった獅子と馬とが前脚をかけた例の皇帝紋章が打ってある「大英宝石商会」である。 続いて堅牢な石の外壁に沿って走り乗合自動車は非常な雑踏のまっ只中に止る。そこは都会の三角州である。ここでは妙に身丈の縮小したように見え・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫