・・・ずいぶん果報な道楽者だとも云われるであろう。 ここまで書いて筆を擱くつもりでいたら、その翌日人に誘われて国宝展覧会を観に行った。古い絵巻物のあるものを見ていたらその絵の内容とその排列に今のレビューと実によく似たものがあることに気が付いた・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・過ぐる十日を繋がれて、残る幾日を繋がるる身は果報なり。カメロットに足は向くまじ」「美しき少女! 美しき少女!」と続け様に叫んでギニヴィアは薄き履に三たび石の床を踏みならす。肩に負う髪の時ならぬ波を描いて、二尺余りを一筋ごとに末まで渡る。・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・曾て東京に一士人あり、頗る西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・居家法の最も拙なるものと言う可し。一 新夫婦は家の事情の許す限り老夫婦と同居せざるものとして、扨その新婦人が舅姑に接するの法を如何す可きやと言うに、新婦の為めに夫は実の父母にも劣らぬ最親の人なる可し。其最親の人の最も尊敬し最も親愛する老・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・即ちその風波の生ぜざるは、ただ家法の厳にして主公の威張るがためにして、これを形容していえば、圧制政府の下に騒乱なきものに異ならず。ただ表に破裂せざるのみ。その内実は風波の動揺を互いの胸中に含むものというべし。されば、男尊女卑、主公圧制、家人・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・じゃ、いただいといて家宝にでも致しましょう」 真面目腐って立ち上ったが、座敷を出ながら、「でも本当に可愛いんですね、しまっときますよ」 ただ虫が喰っただけだとは思ったが、由子はそのまま黙っていた。 その紫の小さい前掛に特別な・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・そして、月給日など「裏町の小路をのっそりと歩いたり、なんかガスのように下方をはい流れているうつらうつらとして陰惨な楽しみに酔う自身の姿に気がついて、なるほど世に繁茂する思想の生え上った根もとはここなのかと、はっと瞬間目醒めるように眼前の空間・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・下顎を後下方へ引っ張っているように、口を開いているので、その長い顔が殆ど二倍の長さに引き延ばされている。絶えず涎が垂れるので、畳んだ手拭で腮を拭いている。顔位の狭い面積の処で、一部を強く引っ張れば、全体の形が変って来る。醜くくはない顔の大き・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・北は荒川から南は玉川まで、嘘もない一面の青舞台で、草の楽屋に虫の下方,尾花の招引につれられて寄り来る客は狐か、鹿か、または兎か、野馬ばかり。このようなところにも世の乱れとてぜひもなく、このころ軍があッたと見え、そこここには腐れた、見るも情な・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・特に画の下方のうるさいほどな緑塊重畳においてそうである。 この画もまた川端氏の画と同じく遠のいて見る時に平板に感ぜられる。画面の前二尺か三尺のところに立つ時、初めて画家の努力が残りなく眼にはいって来るのである。これはおそらく絵の具の関係・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫