・・・川向うの蘆洲からバン鴨が立って低く飛んだ。 少年はと見ると、干極と異なって来た水の調子の変化に、些細の板沈子と折箸の浮子とでは、うまく安定が取れないので、時竿を挙げては鉤を打返している。それは座を易えたためではないのであるが、そう思って・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・その飾り窓には、野鴨の剥製やら、鹿の角やら、いたちの毛皮などあり、私は遠くから見ていたのであるが、はじめは何の店やら判断がつかなかった。そのうちに、あいつはすっと店の中へ入ってしまったので、私も安心して、その店に近づいて見ることが出来たのだ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・かいをするから、こんな事になったのだ、脱出したって少しもいい事がないじゃないか、ああ、思えばエジプトにいた頃はよかったね、奴隷だって何だって、かまわないじゃないか、パンもたらふく食べられたし、肉鍋には鴨と葱がぐつぐつ煮えているんだ、こたえら・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・雁や野鴨の渡り鳥も、この池でその羽を休める。庭園は、ほんとうは二百坪にも足りないひろさなのであるが、見たところ千坪ほどのひろさなのだ。すぐれた造園術のしかけである。われは池畔の熊笹のうえに腰をおろし、背を樫の古木の根株にもたせ、両脚をながな・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ゲエテとクライスト、プロレゴーメナ、歌行燈、三冊、七十銭。鴨肉百目、七十銭。ねぎ、五銭。サッポロ黒ビイル一本、三十五銭。シトロン、十五銭。銭湯、五銭。六年ぶりで、ゆたかでした。使い切れず、ポケットには、まだ充分に。それから一年ちかく、二三度・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・も「野鴨」も「あらし」も、みんなその作者の晩年に書かれたものだそうでございます。ひとに憩いを与え、光明を投げてやるような作品を書くのに、才能だけではいけないようです。もしも、あなたがこれから十年二十年とこのにくさげな世のなかにどうにかして炬・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・お好みに応じて何でも撃ってあげますよ。鴨はどうです。鴨なら、あすの朝でも田圃へ出て十羽くらいすぐ落して見せる。朝めし前に、五十八羽撃ち落した事さえあるんだ。嘘だと思うなら、橋のそばの鍛冶屋の笠井三郎のところへ行って聞いて見ろ。あの男は、俺の・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・そのかわりに去年はたった一匹しかいなかったあひるがことしは十三羽に増殖している。鴨のような羽色をしたひとつがいのほかに、純白の雌が一羽、それからその「白」の孵化したひなが十羽である。ひなは七月に行った時はまだ黄色い綿で作ったおもちゃのような・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・スグまた室を出る。鴨が沢山ついていて、釣船もボツボツ見える。だいぶ浦戸に近よった。煙突の下で立ちながらめしを食っている男がある。例のボーイが cabin からいかがわしい写真を出して来て見せびらかしながら会食室へはいったと思うと、盛んに笑う・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・少なくも鴨猟場で「鴨をしゃくう」のに比べると猟者の神経の働かせ方だけでも大変な差別があるような気がするのである。 古いことがぼつぼつ復活する当代であるから、もしかすると、どこかでまたこの「鴫突き」の古いスポーツが新しい時代の色彩を帯びて・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
出典:青空文庫