・・・ 髪は勿論銀杏返し、なりは薄青い縞のセルに、何か更紗の帯だったかと思う、とにかく花柳小説の挿絵のような、楚々たる女が立っているんだ。するとその女が、――どうしたと思う? 僕の顔をちらりと見るなり、正に嫣然と一笑したんだ。おやと思ったが間に合・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・……いえね、いよいよとなれば、私は借着の寸法だけれど、花柳の手拭の切立てのを持っていますから、ずッぷり平右衛門で、一時凌ぎと思いましたが、いい塩梅にころがっていましたよ。大丈夫、ざあざあ洗って洗いぬいた上、もう私が三杯ばかりお毒見が済んでい・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・余り訝しければ、遥かに下流より遠廻りにその巌洞に到りて見れば、女、美しき褄も地につかず、宙に下る。黒髪を逆に取りて、巌の天井にひたとつけたり。扶け下ろすに、髪を解けば、ねばねばとして膠らしきが着きたりという。もっともその女昏迷して前後を知ら・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・そしてその乗合自動車のやって来る起点は、ちょうどまたこの溪の下流のK川が半町ほどの幅になって流れているこの半島の入口の温泉地なのだった。 温泉の浴場は溪ぎわから厚い石とセメントの壁で高く囲まれていた。これは豪雨のときに氾濫する虞れの多い・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・それは溪の下流にあった一軒の旅館から上流の私の旅館まで帰って来る道であった。溪に沿って道は少し上りになっている。三四町もあったであろうか。その間にはごく稀にしか電燈がついていなかった。今でもその数が数えられるように思うくらいだ。最初の電燈は・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・水車へ水を取るので橋から少し下流に井堰がある、そのため水がよどんで細長い池のようになっている、その岸は雑木が茂って水の上に差し出ているのが暗い影を映しまた月の光が落ちているところは鏡のよう。たぶん羽虫が飛ぶのであろう折り折り小さな波紋が消え・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・警戒所でとった煖炉の温度は、扉から出て二分間も歩かないうちに、黒龍江の下流から吹き上げて来る嵐に奪われてしまった。防寒靴は雪の中へずりこみ、歩くたびに畚のようにがく/\動いた。それでも足は、立ち止っている時にでも常に動かしていなければならな・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・九如の子は放蕩ものであったので、花柳の巷に大金を捨てて、家も段に悪くなった。そこへ付込んで廷珸は杜生に八百金を提供して、そして「御返金にならない場合でも御宅の窯鼎さえ御渡し下されば」ということをいって置いた。杜生はお坊さんで、廷珸の謀った通・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・またその堤防の草原に腰を下して眸を放てば、上流からの水はわれに向って来り、下流の水はわれよりして出づるが如くに見えて、心持の好い眺めである。で、自分は其処の水際に蹲って釣ったり、其処の堤上に寝転がって、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記し・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・河は数千年来層一層の波を、絶えず牧場と牧場との間を穿って下流へ送っている。なんの目的で河が流れているかは知れないが、どうしても目的がありそうである。この男等の生涯も単調な、疲労勝な労働、欲しいものがあっても得られない苦、物に反抗するような感・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
出典:青空文庫