・・・その人に、太宰という下手くそな作家の、醜怪に嗄れた呟きが、いったい聞えるものかどうか。私の困惑は、ここに在る。 私は今まで、なんのいい小説も書いていない。すべて人真似である。学問はない。未だ三十一歳である。青二歳である。未だ世間を知らぬ・・・ 太宰治 「困惑の弁」
・・・ いや、なんともありません、と私は流石にてれくさく、嗄れた声で不気嫌に答えた。「これ、幸吉さんの妹さんから。」百合の花束を差し出した。「なんですか、それは。」私は、その三、四輪の白い花を、ぼんやり眺めて、そうして大きいあくびが出・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・と言った僕の声は嗄れていた。 ツネちゃんは歩けない様子であった。僕は自分の左脇にかかえるようにしてツネちゃんを療養所に連れ込み、医務室へ行った。出血の多い割に、傷はわずかなものだった。医者は膝頭に突きささっている鉛の弾を簡単にピンセット・・・ 太宰治 「雀」
・・・好きなのだから仕様がないという嗄れた呟きが、私の思想の全部であった。二十五歳。私はいま生れた。生きている。生き、切る。私はほんとうだ。好きなのだから仕様がない。しかしながら私は、はじめから歓迎されなかったようである。無理心中という古くさい概・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・とその黒衣の男は、不思議な嗄れたる声で言って、「呉王さまのお言いつけだ。そんなに人の世がいやになって、からすの生涯がうらやましかったら、ちょうどよい。いま黒衣隊が一卒欠けているから、それの補充にお前を採用してあげるというお言葉だ。早くこの黒・・・ 太宰治 「竹青」
・・・と、と言って、私は飛鳥の如く奥の部屋に引返し、ぎょろりと凄くあたりを見廻し、矢庭にお膳の寒雀二羽を掴んでふところにねじ込み、それからゆっくり玄関へ出て行って、「わすれもの。」と嗄れた声で嘘を言った。 お篠はお高祖頭巾をかぶって、おと・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・のどに痰がからまっていたので、奇怪に嗄れた返辞であった。五百人はおろか、十人に聞えたかどうか、とにかく意気のあがらぬ返事であった。何かの間違い、と思ったが、また考え直してみると、事実無根というわけでもない。私はからだが悪くて丙の部類なのだが・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているの・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・という先生のひどく狼狽したような嗄れた御返辞が聞えた。「なぜですか。」「いま、そっちへお茶を持って行く。」そうしてまた一段と声を大きくして、「襖をあけちゃ、駄目だぞ!」「でも、なんだか唸っていらっしゃるじゃありませんか。」私は襖・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・華厳の滝が涸れたところで、私は格別、痛嘆しない。けれども、俳優、羽左衛門の壮健は祈らずに居れないのだ。柿右衛門の作ひとつにでも傷をつけないように。きょう以後「人工の美」という言葉をこそ使うがよい。いかに天衣なりといえども、無縫ならば汚くて見・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫