・・・耕馬は首を下げられるだけ下げて、乾き切らない土の中に脚を深く踏みこみながら、絶えず尻尾で虻を追った。しゅっと音をたてて襲って来る毛の束にしたたか打れた虻は、血を吸って丸くなったまま、馬の腹からぽとりと地に落ちた。仰向けになって鋼線のような脚・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・彼れは酒の香をかぐと急にえぐられるような渇きと食欲とを覚えて、すれ違った男を見送ったりしたが、いまいましさに吐き捨てようとする唾はもう出て来なかった。糊のように粘ったものが唇の合せ目をとじ付けていた。 内地ならば庚申塚か石地蔵でもあるは・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・が、真夏などは暫時の汐の絶間にも乾き果てる、壁のように固まり着いて、稲妻の亀裂が入る。さっと一汐、田越川へ上げて来ると、じゅうと水が染みて、その破れ目にぶつぶつ泡立って、やがて、満々と水を湛える。 汐が入ると、さて、さすがに濡れずには越・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 雲白く、秀でたる白根が岳の頂に、四時の雪はありながら、田は乾き、畠は割れつつ、瓜の畠の葉も赤い。来た処も、行く道も、露草は胡麻のように乾び、蓼の紅は蚯蚓が爛れたかと疑われる。 人の往来はバッタリない。 大空には、あたかもこの海・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ と軽くいって、気をかえて身を起した、女房は張板をそっと撫で、「慾張ったから乾き切らない。」「何、姉さんが泣くからだ、」 と唐突にいわれたので、急に胸がせまったらしい。「ああ、」 と片袖を目にあてたが、はッとした風で・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・その癖、乾き切ってさ。」 とついと立って、「五月雨の……と心持でも濡れましょう。池の菰に水まして、いずれが、あやめ杜若、さだかにそれと、よし原に、ほど遠からぬ水神へ……」 扇子をつかって、トントンと向うの段を、天井の巣へ、鳥のよ・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・「短刀で、こ、こことここを、あっちこっち、ぎらぎら引かれて身体一面に血が流れた時は、……私、その、たらたら流れて胸から乳から伝うのが、渇きの留るほど嬉しかった。莞爾莞爾したわ。何とも言えない可い心持だったんですよ。お前さんに、お前さんに・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・堅苦しく、行き詰ったような、乾き切った感じを与うるものは芸術本来の姿であるまいと思う。技巧によって死んだ思想を活かそうとするのは無益なことだ。露西亜の作家が平凡生活を書き、暗黒描写をして、尚お以上の愉悦の感興を与うるのを偉とするものである。・・・ 小川未明 「若き姿の文芸」
・・・ 乾ききった新造の目には涙が見えた。舅の新五郎も泣けば義理ある弟夫婦も泣き、一座は雇い婆に至るまで皆泣いたのである。それから間もなく、新造は息を引き取ったのであった。 * * * 越えて二日目、葬式は・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 何の報いで咽喉の焦付きそうなこの渇き? 渇く! 渇くとは如何なものか、御存じですかい? ルーマニヤを通る時は、百何十度という恐ろしい熱天に毎日十里宛行軍したッけが、其時でさえ斯うはなかった。ああ誰ぞ来て呉れれば好いがな。 しめた! こ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫