・・・ことに右の場合のごとく、すべての芸術的効果と宗教的感化とが、ただ一点に、すなわち偶像の礼拝に集中している際には、その有頂天がいかに深く強いか、ほとんど我々の想像以上であったらしい。かくして我々の祖先は、偶像崇拝において一種の美的宗教的な大歓・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・われわれは知力の傾向に従って、特異な点を常に看過しようとするけれども、実際はすべてが全然特異なのである。 またわれわれは漠然と「顔」ということをいうが実際にわれわれが経験するのは個々別々な、特殊な人相であって一般的な「顔」ではない。人相・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・ここでも寺田さんは人々があたり前として看過している現象の中に数々の不思議を見出し熱心にそれを探究している。 寺田さんの探究心にとってはそのいずれが特に重大だという訳ではなかった。つまり寺田さんは自然現象、文化現象のいっさいにわたる探究者・・・ 和辻哲郎 「寺田寅彦」
・・・そうして彼の永い間の努力と苦心と功績とを一切看過した。私はそこに自分の愛の狭さを感じる。この種の心持ちがしばしば他人の製作に対して起こっているのではないかと、自分を憂えないではいられない。愛なき批評を呪うようになった私には、もはや気軽に他人・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・で発達した芸術や宗教がシナの本部の方へ入り込んで来る際に、敦煌から蘭州を経て長安や洛陽の古い文化圏に来たことは確かであろうし、蘭州と長安との中ほどにある麦積山がこの文化流入の通路にあって、いち早くその感化を受けたであろうことも、疑う余地がな・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫