・・・ 寒気のきびしい間、どうか益々体に気をつけて下さい。〔一九四〇年一月〕 宮本百合子 「二人の弟たちへのたより」
・・・忠利の兄与一郎忠隆の下についていたので、忠隆が慶長五年大阪で妻前田氏の早く落ち延びたために父の勘気を受け、入道休無となって流浪したとき、高野山や京都まで供をした。それを三斎が小倉へ呼び寄せて、高見氏を名のらせ、番頭にした。知行五百石であった・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・私はこの時鎖を断たれた囚人の歓喜を以て、共に拍手した。 畑等が先に立って、前に控所であった室の隣の広間をさして、廊下を返って往く。そこが宴会の席になっているのである。 私は遅れて附いて行く時、廊下で又鼠頭魚に出逢った。「大変ね」・・・ 森鴎外 「余興」
・・・ 彼らの文学的活動は、ブルジョア意識の総ての者を、マルキストたらしめんがための活動と、コンミニストをして、彼らの闘争と呼ばるべき闘争心を、より多く喚起せしめんがための活動とである。 私は此の文学的活動の善悪に関して云う前に、・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・静かな歓喜がかなり永い間続いた。そのゆえに私は幸福であった。ある日私はかわいい私の作物を抱いてトルストイとストリンドベルヒの前に立った。見よ。その鏡には何が映ったか。それが果たして自分なのか。私はたちまち暗い谷へ突き落とされた。 私は自・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・それに伴なって老夫婦は徐々に歓喜の絶頂に導かれて行くのであるが、それはまた読者にとっても歓喜の絶頂となるのである。 三島の明神とはこの苦難を味わった長者のことである。長者の妻もまた讃岐の国の一の宮として祀られている。我々はここにも苦しむ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・死の世界と言っていいような、寒気を催す気分がそこにあった。これに比べてみると、爪紅の蓮の花の白い部分は、純白ではなくして、心持ち紅の色がかかっているのであろう。それは紅色としては感じられないが、しかし白色に適度の柔らかみ、暖かみを加えている・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫