・・・信仰のない私には、どうも聞き慣れぬ漢語や、新しい詩人の用いるような新しい手爾遠波が耳障になってならない。それに私を苦めることが、秋水のかたり物に劣らぬのは、婆あさんの三味線である。この伴奏は、幸にして無頓著な聴官を有している私の耳をさえ、緩・・・ 森鴎外 「余興」
・・・――山上の煉瓦の中から、不意に一群の看護婦たちが崩れ出した。「さようなら。」「さようなら。」「さようなら。」 退院者の後を追って、彼女たちは陽に輝いた坂道を白いマントのように馳けて来た。彼女たちは薔薇の花壇の中を旋回すると、・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・英語の字引きをひいて mustmustなどとあるのをおもしろがっていた年ごろに、もし漢語を同じように写音文字にすれば、どころではなくから、否…と並べなくてはならないのだと知ったならば、よほど漢字に対する考え方が違っていたろうと思う。そこには・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫