・・・けれども亦格別見慣れたことを長江に感謝したい見ものでもなかった。 僕はだんだん苛立たしさを感じ、もう一度欄干によりかかりながら、やはり人波の去来する埠頭の前後を眺めまわした。そこには肝腎のBさんは勿論、日本人は一人も見当らなかった。しか・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 本間さんは向うの態度や口ぶりから推して、どうもこの忠告も感謝して然る可きものか、どうか判然しないような気がしたから、白葡萄酒を嘗め嘗め、「ええ」とか何とか、至極曖昧な返事をした。が、老紳士は少しも、こっちの返事などには、注意しない。折・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ ぼくの家は町からずっとはなれた高台にある官舎町にあったから、ぼくが「火事だよう」といって歩いた家はみんな知った人の家だった。あとをふりかえって見ると、二人三人黒い人影がぼくの家の方に走って行くのが見える。ぼくはそれがうれしくって、なお・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・クララはフランシスの明察を何んと感謝していいのか、どう詫びねばならぬかを知らなかった。狂気のような自分の泣き声ばかりがクララの耳にやや暫らくいたましく聞こえた。「わが神、わが凡て」 また長い沈黙がつづいた。フランシスはクララの頭に手・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ホイットマンはあるいはエマソンに感謝すべき何物をか持つことができるかもしれない。しかしながらエマソンがホイットマンに感謝を要求すべき何物かがあろうとは私には考えられない。 第三階級にのみおもに役立っていた教養の所産を、第四階級が採用しよ・・・ 有島武郎 「想片」
・・・が五分たりとも少なかった、のみならず、お身体の一箇処にも紅い点も着かなかった事を、――実際、錠をおろした途端には、髪一条の根にも血をお出しなすったろうと思いました――この祝言を守護する、黄道吉日の手に感謝します。 けれども、それもただわ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 私は膝を拍って、感謝した。「よし、よし、有難う。」 香のものがついて、御飯をわざわざ炊いてくれた。 これで、勘定が――道中記には肝心な処だ――二円八十銭……二人分です。「帳場の、おかみさんに礼を言って下さい。」 や・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・しい、日中は男女老幼各其為すべき事を為し、一日の終結として用意ある晩食が行われる、それぞれ身分相当なる用意があるであろう、日常のことだけに仰山に失するような事もなかろう、一家必ず服を整え心を改め、神に感謝の礼を捧げて食事に就くは、如何に趣味・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・「それにはYも心から感謝して、その話を僕にした時ポロポロ涙を澪して島田の恩を一生忘れないと泣いていた、」とU氏は暫らくしてから再び言葉を続け、「が、Yはマダ人間が出来ておらんから、恩に感ずる事も早いが恩を忘れる事も早い。君ももしYに会っ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・の恩恵を感謝したであろう。 博文館が此の揺籃地たる本郷弓町を離れて日本橋の本町――今の場所では無い、日本銀行の筋向うである――に転じたのは、之より二年を経たる明治二十二年であったと記憶する。博文館の活動は之から以後一層目鮮しかったので、・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
出典:青空文庫