・・・ その頃の長崎にはロシアの東洋艦隊の勢力が港町の隅々まで浸潤していた。薄汚い裏町のようなところの雑貨店の軒にロシア文字の看板が掛かっていたりした。そうした町を歩いている時に何とも知れぬ不思議な匂いがした。何の匂いだろうと考えたがついに解・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・僅か五隻のペリー艦隊の前に為す術を知らなかったわれらが、日本海の海戦でトラファルガー以来の勝利を得たのに心を躍らすのである。 下 先生はこの驚嘆の念より出立して、好奇心に移り、それからまた研究心に落ち付いて、この・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・菅笠を被っていても木曾路ではこういう風に歓待をせられるのである。馬はヒョクリヒョクリと鳥井峠と上って行く。おとなしそうなので安心はしていたが、時々絶壁に臨んだ時にはもしや狭い路を踏み外しはしまいかと胆を冷やさぬでもなかった。余はハンケチの中・・・ 正岡子規 「くだもの」
つめたいいじの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、日のあかりだか判らないようになりました。 烏の義勇艦隊は、その雲に圧しつけられて、しかたなくちょっとの間、亜鉛の板をひろげたような雪の田・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・この岩はまだ上流にも二、三ヶ所学生は何でももう早く餅をげろ呑みにして早く生きたいようにも見えまたやっぱり疲れてもいればこういう款待に温さを感じてまだ止まっていたいようにも見えた。(ええ、峠まで行って引っ返して来て県道を大船渡(今晩の・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・ベズィメンスキーなどとバルチック艦隊文学研究会員、赤軍機関誌編輯者、赤軍劇場管理者などが集り、赤色陸海軍文学協会中央評議会を結成した。一九三〇年初秋のことである。 ロカフ中央評議会の決議は左のようなものであった。一、ロカフは芸術活動・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・二・二六事件の秘史というものが、当時の内部関係者であったファシスト軍人によって主観的に合理化してかかれたものが公表されるし、日本海軍潰滅前後の物語も、当時の連合艦隊参謀長というような人々によって執筆されはじめた。 これらの記録には、どれ・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・遠くの海に艦隊がきた。鼻眼鏡をつけ顎に髯のあるチェホフが、独身暮しの医者が、双眼鏡をとって海上の艦隊を眺める。 町では小歌劇、蚤の見世物。クニッペルがひらひらのついた流行型のパラソルをさしてそれを女優らしく笑いながら観ている。チェホフは・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・勿論御主人も居られた。歓待して頂いた。若い娘らしくそれを十分に感じ、くつろいだ、なついた調子で、啄木の歌がすきだというようなことまでお話しした覚えがある。 その晩も、母がそのお座敷で、私が幼い記憶にあるお孝さんと現在の古田中夫人とを結び・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・プロレタリア文学戦線の、赤軍・赤艦隊への拡大だ。 セラフィモウィッチ、スルコフなどが主となって研究委員会が「赤軍中央会館」で行われた。一九三〇年初秋のことだ。 ソヴェトが、帝国主義に包囲されているという国際的地位からみて、当然、もっ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
出典:青空文庫