・・・しかし君のように誰のためにするでもなく、誰の恩を受けるでもなく、空しく生きて空しく死ぬるのに比べて見れば、僕は死んでも死甲斐があるのだ。主人。誰のためにするでもなく、誰の恩を受けるでもない。(徐譬えば下手な俳優があるきっかけで舞台に出て・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・、苦しみにより一層豊饒にし、賢くしてくれる恋愛、それから発足した範囲の広い愛の種々相に対して、私共は礼讚せずにはいられませんが、無限な愛の一分野と思われる恋愛ばかりを天地に漲り、それなくしては生きるに甲斐ないと云うもののように考えるのは、不・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・元より無我と云う字の解釈にも依りますが、字書通り、我見なきこと、我意なきこと、我を忘れて事をなすと致しましても、結局「我」と云うものを無いと認める事は出来ませんでしょう。 私心ないと云う事、我見のないと云う事は、自分の持って居る或る箇性・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・私の為、私の為と云い、思い乍ら、つまり我意を拡張させようとする。自分が見る丈の世界でよしとするもののみを、我々の上に実現させようとされる。彼程、お前の愛す者なら、良人として何人も認めると云われはしても、若し、母上の撰択のみに従い、母上の批評・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・淀君は殆んど分別なく我意を揮った。豊臣家の存亡ということについて、責任を負う気持がなかったのも当然である。 悲劇と喜劇とが錯綜して、日夜運行していた大坂城の中にお菊という一人の老女があった。余程永年、豊臣家に仕えていたものらしい。ところ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・只りよ一人平作の家族に気兼をしながら、甲斐々々しく立ち働いていたが、午頃になって細川の奥方の立退所が知れたので、すぐに見舞に往った。 晩にりよが帰ると九郎右衛門が云った。「おい。もう当分我々は家なんぞはいらんが、若殿が旅に出て風を引かぬ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・婦人の甲斐なさ、それよ忠義の志ばかりでおじゃるわ』とこの眼から張り切りょうずる涙を押えて……おおおれは今泣いてはいぬぞ、忍藻……おれも武士の妻あだに夫を励まし、聟を急いたぞ。そを和女、忍藻も見ておじゃったろうぞのう。武士の妻のこころばえはか・・・ 山田美妙 「武蔵野」
次の日曜には甲斐へ行こう。新緑はそれは美しい。そんな会話が擦れ違う声の中からふと聞えた。そうだ。もう新緑になっていると梶は思った。季節を忘れるなどということは、ここしばらくの彼には無いことだった。昨夜もラジオを聞いていると・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫