・・・ちょうど満洲事変が起った年で、世の中の不景気は底をついて、東京では法学士がバタ屋になったと新聞に出るという時代だったから、拾い屋といってもべつに恥しくはない。それに私は何かその男といっしょに働く喜びにいそいそとして、文子のことなどすっかり思・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・唄ってくれと言われて、紅燃ゆる丘の花と校歌をうたったのだが、ふと母親のことを頭に泛べると涙がこぼれた。学資の工面に追われていた母親のことが今はじめて胸をちくちく刺した。その泪だった。そんな豹一を見て、女は、センチメンタルなのね。肩に手を掛け・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 三年経てば、妹の道子は東京の女子専門学校を卒業する、乾いた雑布を絞るような学資の仕送りの苦しさも、三年の辛抱で済むのだと、喜美子は自分に言いきかせるのであった。 両親をはやく失って、ほかに身寄りもなく、姉妹二人切りの淋しい暮しだっ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・後に残ったのは笹川と六人の彼の友だちと、それに会社員の若い法学士とであった。そして会計もすんで、いよいよ皆なも出かけようという時になって、意外なことになった。……それは、今朝になって突然K社の人が佐々木を訪ねてきて、まだ今夜の会場が交渉して・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・書記官と聞きたる綱雄は、浮世の波に漂わさるるこのあわれなる奴と見下し、去年哲学の業を卒えたる学士と聞きたる辰弥は、迂遠極まる空理の中に一生を葬る馬鹿者かとひそかに冷笑う。善平はさらに罪もなげに、定めてともに尊敬し合いたることと、独りほくほく・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ そのわけはなんであろうか知りませんが、たぶん学資のことだろうと私は覚えています。そして私には木村が、たといあの時、故郷に帰らないでも、早晩、どこにか隠れてしまって、都会の人として人中に顔を出す人でないと思われます。木村が好んで出さない・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・といいながら新工学士神崎は石を拾って不思議そうに眺める。朝田はこの時既に座敷から廻って縁先に来た。「オイ朝田、春子さんがこの石を妙だろうと言うが君は何と思う。」「頗る妙と思うねエ」「ね朝田様、妙でしょう。」と少女はにこにこ。・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・母は叔母の家から私の学資を出さそうとしたらしゅうございました。これが都合よく参りませんものですから、私の立身を堅く信じながらも、ただそれは漠としたことで、実は内々ひどく心痛したものと見えます。それですから母としてはただ女難を戒しめるほかに私・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・非常の美人になるだろうと衆人から噂されていた娘であるが、果してその通りで、年の行く毎に益々美しく成る、十七の春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば学校の新学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学士大津定二郎が帰省した。 富岡先生・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・すなわち将来学士となるという優越条件を利用して、結婚を好餌として女性を誘惑することだ。これは人間として最も卑怯な、恥ずべき行為である。どんなことがあっても、これだけはやってはならない。これはもう品性の死である。こうした行為をする者が将来社会・・・ 倉田百三 「学生と生活」
出典:青空文庫