・・・、今のままの方向に進みたらんには、国中ますます教師を生ずるのみにして、実業につく者なく、はじめにいえる如く、蚕を養うて蚕卵を生じ、その卵を孵化してまた卵を生じ、ついに養蚕の目的たる糸を見ざるに等しきの奇観を呈することあるべし。 我が慶応・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・百姓の子が学問して後に立身するは、親の心にあくまでも望む所なれども、いかんせん、その子は今日家内の一人にして、これを手離すときはたちまち世帯の差支となりて、親子もろとも飢寒の難渋まぬかれ難し。これを下等の貧民幾百万戸一様の有様という。 ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・(ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配だから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越とジョバンニが思いながら、大股にその街燈の下を通り過ぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新らしいえりの尖ったシャツを着て電燈の向う側の暗い小路から出て来て、ひ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・二人の農夫は次から次とせわしく落ちて来る芯を集めて、小屋のうしろの汽缶室に運びました。 ほこりはいっぱいに立ち、午ちかくの日光は四つの窓から四本の青い棒になって小屋の中に落ちました。赤シャツの農夫はすっかり塵にまみれ、しきりに汗をふきま・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・ 汽車がごうとやってきました。汽缶車の石炭はまっ赤に燃えて、そのまえで火夫は足をふんばって、まっ黒に立っていました。 ところが客車の窓がみんなまっくらでした。するとじいさんがいきなり、「おや、電燈が消えてるな。こいつはしまった。・・・ 宮沢賢治 「月夜のでんしんばしら」
十何年か前、友達が或る婦人団体の機関誌の編輯をしていたことがあった。一種の愛国団体で、その機関誌も至極安心した編集ぶりを伝統としていたのであったが、あるとき、その雑誌に一篇の童話が載った。そんな雑誌としては珍らしい何かの味・・・ 宮本百合子 「旭川から」
・・・その期間に作者はしばしば一人の人間、女としての自分の人生について考えずにいられなかった。人間の生活が現在にあるよりももっと条理にかなった運営の方法をもち、互に理解しあえる智慧とその発露を可能にする社会の方がより人間らしく幸福だという判断、あ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・そのものが印刷物にあることを禁じ、当然ソヴェト事情の公正な紹介も許さなかった。その期間ソヴェトに関して出版されたものは、軍、外務省の情報機関を通じたものであり、構想敵の実体調査であった。反人民的な本質に立つものしか許されなかった。 この・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・をこれらの期間にかいた。そして、それと平行して、この第三集にあつめられた「小村淡彩」「一太と母」「帆」「街」などをも書いた。 一九四七年九月〔一九四七年十月〕 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・ 一九三六、七年以後から十年の歳月は、日本の人民とその文学にとって、野蛮と死の期間であった。 実に、この十年の空白の傷は大きく深い。そして、こんにち商業新聞の頁の上に、昭和初頭と同じように講談社、主婦之友出版雑誌の大広告を見るとき、・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
出典:青空文庫