・・・大名と呼ばれた封建時代の貴族たちが、黄金の十字架を胸に懸けて、パアテル・ノステルを口にした日本を、――貴族の夫人たちが、珊瑚の念珠を爪繰って、毘留善麻利耶の前に跪いた日本を、その彼が訪れなかったと云う筈はない。更に平凡な云い方をすれば、当時・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・もっともこりゃ気兼ねをするのも、無理はないと思ったから、じゃどこかにお前さんの方に、心当りの場所でもありますかって尋ねると、急に赤い顔をしたがね。小さな声で、明日の夕方、近所の石河岸まで若旦那様に来て頂けないでしょうかと云うんだ。野天の逢曳・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・さわやかにもたげた頭からは黄金の髪が肩まで垂れて左の手を帯刀のつかに置いて屹としたすがたで町を見下しています。たいへんやさしい王子であったのが、まだ年のわかいうちに病気でなくなられたので、王様と皇后がたいそう悲しまれて青銅の上に金の延べ板を・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・ 一足進むと、歩くに連れ、身の動くに従うて、颯と揺れ、溌と散って、星一ツ一ツ鳴るかとばかり、白銀黄金、水晶、珊瑚珠、透間もなく鎧うたるが、月に照添うに露違わず、されば冥土の色ならず、真珠の流を渡ると覚えて、立花は目が覚めたようになって、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ほとんど黄金を透明にしたような色だ。強みがあって輝きがあってそうして色がある。その色が目に見えるほど活きた色で少しも固定しておらぬ。一度は強く輝いてだんだんに薄くなる。木の葉の形も小鳥の形もはっきり映るようになると、きわめて落ちついた静かな・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・みずから帯の間から古い黄金を取り出し、「ええッ、拾って行きゃアがれ」と、ほうりつけ、「畜生、そんな物ア手にさわるのも穢れらア!」 僕の妻はちょうど井筒屋へ行っていたので、この芝居を、炉のそばで、家族と一緒に見たと言う。「もう、二度と・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・の孤児戦場に趁く 蟇田素藤南面孤を称す是れ盗魁 匹として蜃気楼堂を吐くが如し 百年の艸木腥丘を余す 数里の山河劫灰に付す 敗卒庭に聚まる真に幻矣 精兵竇を潜る亦奇なる哉 誰か知らん一滴黄金水 翻つて全州に向つて毒を流し来る・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・日は漸々西に傾いて、波の上が黄金色に輝いて、あちらの岩影が赤く光った時分には、もうその船の姿は波の中に隠れて、煙が一筋、空に残っていたばかりです。 その日は、お姉さまといっしょに海辺で遊び暮らして、疲れた足をひきずって家に帰りました。・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・ 二三日、狭苦しい種吉の家でごろごろしていたが、やがて、黒門市場の中の路地裏に二階借りして、遠慮気兼ねのない世帯を張った。階下は弁当や寿司につかう折箱の職人で、二階の六畳はもっぱら折箱の置場にしてあったのを、月七円の前払いで借りたの・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
出典:青空文庫