・・・デニキン、コルチャック、ウランゲルらによる国内戦と飢饉と大移動と、それにたいするボルシェヴィキの奮闘などは、ロシアの全人民に無限の経験とエピソードとをもたらした。全人口が「語るべき何事かを」生きたのであった。私たちに近親な作家として、たとえ・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・現在二十歳以上のロシア人はすべて革命、飢饉時代を経て生きて来た。生活に必要な条件というものがある。それの全然欠けた日々を潜って如何にして生きるかを習得して来たわけだ。 この民衆の強みはСССРの底石だ。 骨格逞しい丈夫な民衆の上にあ・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ ○ウタリー中学校をたてたいと基金を集めて居る。「これまではよそからしてくれなしても、ウタリーが目醒めて居なかったから駄目でした。けれども、これは我共の人が自分から求めて来たのでしたから、きっとどうにかなりますよ。決して死にはしませ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・グループ一で、一ヵ月二万ルーブリ以上の予算、労働賃銀支払基金を一万五千ルーブリ持ってるような大劇場だと、第一級の俳優=芸術労働者は三百五十ルーブリから五百ルーブリ。芸術労働者の資格も八級ばかりにわかれていて、その位の劇場だと、ビリで七十五ル・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・ 文化連盟及『働く婦人』の基金募集応募のことは異議あろう筈はありません。例えば、『働く婦人』にしろ、実に困難な経済の中から苦心して発行しているのです。あなたがまとまって寄附なさることが出来れば幸いです。その他あなたのお友達の中で、よしん・・・ 宮本百合子 「「我らの誌上相談」」
・・・天明以後の飢饉年である。 医師が来て、三右衛門に手当をした。 親族が駆け附けた。蠣殻町の中邸から来たのは、三右衛門の女房と、伜宇平とである。宇平は十九歳になっている。宇平の姉りよは細川長門守興建の奥に勤めていたので、豊島町の細川邸か・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫