一 官吏、教師、商人としての兆民先生は、必ずしも企及すべからざる者ではない。議員、新聞記者としての兆民先生も、亦世間其匹を見出すことも出来るであろう。唯り文士としての兆民先生其人に至っては、実に明治当代の最も偉大なるものと言わね・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・母親は汽車の中で、始終手拭で片方の眼ばかりこすっていた。 何べんも間誤つき、何べんも調らべられ、ようやくのことで裁判所から許可証を貰い、刑務所へやってきた。――ところが、その入口で母親が急に道端にしゃがんで、顔を覆ってしまった。妹は吃驚・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・姪が連れていたのはまだ乳離れもしないほどの男の子であったが、すぐに末子に慣れて、汽車の中で抱かれたりその膝に乗ったりした。それほど私の娘も子供好きだ。その子は時々末子のそばを離れて、母のふところをさぐりに行った。「叔父さん、ごめんなさい・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ それから、とうさんが生活を変えると言ったら、事あれかしの新聞記者なぞに大袈裟に書き立てられても迷惑しますから、しばらくこの手紙の内容はおまえたちだけで承知していてください。友人にも世間の人たちにもおりを見てぽつぽつ知らせるつもりです。・・・ 島崎藤村 「再婚について」
・・・それさえあれば己はあっちのリングの方にいる女きょうだいの処まで汽車で行かれるのだが。」 婆あさんは、目を小さくして老人の顔を見ていたが、一足傍へ歩み寄って、まだ詞の口から出ないうちに笑いかけて云った。「お前さんはケッセル町の錠前屋のロオ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・東京から地方へのがれ出るには、関西方面行の汽車は箱根のトンネルがこわれてつうじないので、東京湾から船で清水港へわたり、そこから汽車に乗るのです。東北その他へ出る汽車には、みんながおしおしにつめかけて、機関車のぐるりや、箱車の屋根の上へまでぎ・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・五十円を故郷の姉から、これが最後だと言って、やっと送って戴き、私は学生鞄に着更の浴衣やらシャツやらを詰め込み、それを持ってふらと、下宿を立ち出で、そのまま汽車に乗りこめばよかったものを、方角を間違え、馴染みのおでんやにとびこみました。其処に・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・仕入れて、店先には新しいのれんを出し、いかに貧乏の店でも張り切って、お客への愛嬌に女の子をひとり雇ったり致しましたが、またもや、あの魔物の先生があらわれまして、こんどは女連れでなく、必ず二、三人の新聞記者や雑誌記者と一緒にまいりまして、なん・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ 夫のお友達の方から伺ったところに依ると、その女のひとは、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八歳の女記者で、私が青森に疎開していたあいだに、この家へ泊りに来たりしていたそうで、姙娠とか何とか、まあ、たったそれくらいの事で、革命だの何・・・ 太宰治 「おさん」
・・・そこには最新の出来事を知っていて、それを伝播させる新聞記者が大勢来るから、噂評判の源にいるようなものである。その噂評判を知ることも、先ず益があって損のない事である。 この店に這入って据わると、誰でも自分の前に、新聞を山のように積み上げら・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫