・・・ 五日ほど経った早朝、鶴は、突如、京都市左京区の某商会にあらわれ、かつて戦友だったとかいう北川という社員に面会を求め、二人で京都のまちを歩き、鶴は軽快に古着屋ののれんをくぐり、身につけていたジャンパー、ワイシャツ、セーター、ズボン、冗談・・・ 太宰治 「犯人」
・・・たとえば池の北側に、大きなまっ黒く茂った枝を水面近くまでのばしている、あの木などもこの池の景色をスペシファイする一つのだいじな要素になっているのだが、あれなどの助かったのはしあわせである。毎年この木の下で、ディップサークルをすえては、観測の・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・ところが先年筑波山の北側の柿岡の盆地へ行った時にかの地には珍しくない「地鳴り」の現象を数回体験した。その時に自分は全く神来的に「孕のジャンはこれだ」と感じた。この地鳴りの音は考え方によってはやはりジャーンとも形容されうる種類の雑音であるし、・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・しかし北側へ廻って見ると立派に対称的な火山の形を見せている。これも世界に誇るべき名山だと思う。 長万部から噴火湾の海岸を離れて内地へ這入る。人間の少ないのに驚く。ちゃんとした道路があるが通っている人影が見えない。畑に働いている人もめった・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・そのようなことの可能性を暗示する一つの根拠は、最大頻度方向より三十度以上の偏異を示す七匹のどれもがみんなその尾端を電線の南側に向けており、反対に北側に向けたのはただの一匹もなかったという事実である。 その翌日の正午ごろ自分たちの家の前を・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ いつか上野の松坂屋の七階の食堂の北側の窓のそばに席を占めて山下の公園前停留場をながめていた。窓に張った投身者よけの金網のたった一つの六角の目の中にこの安全地帯が完全に収まっていた。そこに若い婦人が人待つふぜいで立っていると、やがて大学・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・東京辺と四国の南側の海岸とでは満潮の時刻は一時間くらいしか違わないし、満干の高さもそんなに違いませんが、四国の南側とその北側とでは満潮の時刻は大変に違って、ところによっては六時間も違い一方の満潮の時に他の方は干潮になる事もあります。また、内・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・清らかになまめかしい白足袋も一足落ちている。北側の胸壁にもたれて見下ろす。巡査が一人道側へ立って警戒している。何の警戒か分からぬ。しかし何かを警戒していることは分かる。 H首相が入院していた時の物々しい警戒を思い出す。悪いことをしないも・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・ 五 朝二階の寝間の床の上で目をさまして北側の中敷窓から見ると隣の風呂の煙突が見える。煙突と並行して鉄の梯子が取り付けてあるのによくすずめの群れが来て遊んでいる。まず一羽飛んで来て中段に止まる。あとからすぐに一羽・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・ 丸善の二階の北側の壁には窓がなくて、そこには文学や芸術に関する書籍が高い所から足もとまでぎっしり詰まっている。文学書では、どちらかと言えば近代の人気作家のものが多くてそれらが最も目につきやすい所に並んでいる。中学時代にわれわれが多く耳・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
出典:青空文庫