・・・宝井其角の家にもこれと同じような冬の日が幾度となく来たのであろう。喜多川歌麿の絵筆持つ指先もかかる寒さのために凍ったのであろう。馬琴北斎もこの置炬燵の火の消えかかった果敢なさを知っていたであろう。京伝一九春水種彦を始めとして、魯文黙阿弥に至・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・それは大正八、九年のころ、浅草公園の北側をかぎっていた深い溝が埋められ、道路取ひろげの工事と共に、その辺の艶しい家が取払われた時からであろう。当時凌雲閣の近処には依然としてそういう小家がなお数知れず残っていたが、震災の火に焼かれてその跡を絶・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ この静な道を行くこと一、二町、すぐさま万年橋をわたると、河岸の北側には大川へ突き出たところまで、同じような平たい倉庫と、貧しげな人家が立ちならび、川の眺望を遮断しているので、狭苦しい道はいよいよせまくなったように思われてくる。わたくし・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・千住へ行く乗合自動車は北側の堤防の二段になった下なる道を走って行く。道は時々低く堤を下って、用水の流に沿い、また農家の垣外を過ぎて旧道に合している。ところどころ桜の若木が植え付けられている。やがて西新井橋に近づくに従って、旧道は再び放水路堤・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・汚い階子段を上がって、編輯局の戸を開けて這入ると、北側の窓際に寄せて据えた洋机を囲んで、四五人話しをしているものがある。ほかの人の顔は、戸を開けるや否やすぐ分ったが、たった一人余に背中を向けて椅子に腰をおろして、鼠色の背広を着て、長い胴を椅・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・ その湖の岸の北側には屠殺場があって、南側には墓地があった。 学問は静かにしなけれゃいけない。ことの標本ででもあるように、学校は静寂な境に立っていた。 おまけに、明治が大正に変わろうとする時になると、その中学のある村が、栓を抜い・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・今度爆発すれば、たぶん山は三分の一、北側をはねとばして、牛やテーブルぐらいの岩は熱い灰やガスといっしょに、どしどしサンムトリ市におちてくる。どうでも今のうちに、この海に向いたほうへボーリングを入れて傷口をこさえて、ガスを抜くか熔岩を出させる・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ その時野原の北側に畑を有っている平二がきせるをくわえてふところ手をして寒そうに肩をすぼめてやって来ました。平二は百姓も少しはしていましたが実はもっと別の、人にいやがられるようなことも仕事にしていました。平二は虔十に云いました。「や・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・〔尤も向うの杉のついているところは北側でこっちは南と東です。その関係もありますがそうでなくてもこっちは北側でも杉やひのきは生えません。あすこの崖で見てもわかります。この山と地質は同じです。ただ北側なため雑木が少しはよく育ってます。〕いい・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・日の当らない北側だけが病室にあてられているときいて、私は憎らしい気がしました。四年間に二十七名の党員たちが死んだのだそうです。よくバスの車掌さんなんかで警察へつかまると、スパイが迚も拷問し、しかも女として堪えられないような目にあわす話をきき・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
出典:青空文庫