・・・むかし細川藩の国家老とか何とかいう家柄をじまんにして、高い背に黄麻の単衣をきちんときている。椅子をひきずってきて腰かけながら、まだいっていたが、「なんだ、青井さ、一人か」 と、気がついたふうに、それから廊下をへだてた、まだ夜業をして・・・ 徳永直 「白い道」
・・・この男はまだ若いと云っていい。しかしもうあまたの閲歴、しかも猛烈な閲歴を持っているから、小説らしい架空な妄想には耽らない。この男はきちんと日課に割り附けてある一日の午後を、どんな美しい女のためにでも、無条件に犠牲に供せようとは思わない。この・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ とのさまがえるはそこでにやりと笑って、いそいですっかり店をしめて、お酒の石油缶にはきちんと蓋をしてしまいました。それから戸棚からくさりかたびらを出して、頭から顔から足のさきまでちゃんと着込んでしまいました。 それからテーブルと椅子・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・ ブランダと呼ばれた子はすばやくきちんとなって答えました。「人が歩くことよりも言うことよりももっとしないでいられないのはいいことです。」 アラムハラドが云いました。「そうだ。私がそう言おうと思っていた。すべて人は善いこと、正・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・ このように明るく、親も子も同じように、道理には従うというきちんとした習慣で育てられれば、男の子も女の子も、おのずから動作もしっとりとし、正しいことに従う素直さをもち、互に扶け合う気風も出来ます。 躾にも筋がとおる、ということが・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・そのようにして決めた組内の申し合わせは、自分たちできめたことですから、勝手にこわしてしまうようなことをせず、皆が其にきちんと従って、不便なところは改善してゆくという風にやるべきではないでしょうか。自由というものは、こういうものです。 級・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・ カンカン火のある火鉢にも手をかざさず、きちんとして居た栄蔵は、フット思い出した様に、大急ぎでシャツの手首のところの釦をはずして、二の腕までまくり上げ紬の袖を引き出した。 久々で会う主婦から、うすきたないシャツの袖口を見られたくなか・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・針はいつもの通り、きちんと六時を指している。「おい。戸を開けんか。」 女中が手を拭き拭き出て来て、雨戸を繰り開ける。外は相変らず、灰色の空から細かい雨が降っている。暑くはないが、じめじめとした空気が顔に当る。 女中は湯帷子に襷を・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・漱石は座ぶとんの上にきちんとすわっていた。和服を着てすわっている漱石の姿を見たのはこれが最初である。客がはいって行ってもあまり体を動かさなかった。その体つきはきりっと締まって見えた。三年前の大患以後、病気つづきで、この年にも『行人』の執筆を・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫