・・・やがて虚子が京都から来る、叔父が国から来る、危篤の電報に接して母と碧梧桐とが東京から来る、という騒ぎになった。これが自分の病気のそもそもの発端である。〔『ホトトギス』第三巻第三号 明治32・12・10〕・・・ 正岡子規 「病」
・・・ 一九三四年一月十五日にわたしも検挙され、六月十三日、母の危篤によって家へ帰された。母はわたしの顔をおぼろの視力でようように見わけ十五分ののちに絶命した。 その一九三四年の十二月に、わたしは淀橋区上落合の、中井駅から近い崖の上の家に・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・一昨年の一月から六月十三日に母の危篤により帰る迄の間に私は猛烈な心臓脚気にかかっていて、胸まで痺れ、氷嚢を当て、坐っていた。 私の心臓が慢性的に弱ったのは、この第二のことからです。その時は、オリザニンの注射その他の治療で直そうとし、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ ほんとうにこの一週間程の真剣さと云ったら彼女自身でも驚く程でしたところへ昨日仲働きへ電報で姉が危篤だと云うのです。 東京から五六十里北の者だったのでしたが、何にしろ死にそうだと云うのだからと云って不自由を知って帰してやりましたので・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・一月以来駒込署、小松川署、杉並署、淀橋署と移されていたが、六月十三日、母危篤のため急に帰された。肺壊疽をわずらって順天堂病院に入院していた母は、私が病院にかけつけて十五分ののちに死去した。私は半年の留置場生活で健康を害して、心臓衰弱に苦しん・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 少し以前から、ロザリーに様子が変だと心づかれていたドラは、一人の女友達の部屋で何か医者の明言しなかった理由の為に危篤に陥り、一晩の苦しみで到頭死んでしまいました。悲しさでやっと我を支えているロザリーが、最後にドラの名を呼んだ時、瀕死の・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
・・・一九四二年七月、巣鴨拘置所で熱射病のため危篤に陥ってからのち、一年ほど言語障害と視力障害に苦しみました。視力障害はこんにちもつづいています。一九四五年秋以来、創作のほかに可能の最大な範囲で講演、各種の委員会、選挙闘争など活動をつづけ、一昨年・・・ 宮本百合子 「文学について」
・・・それは四月まで『働く婦人』編輯事務員として全力をつくし活動した同志今野大力が現在白テロに倒れ、危篤の有様で慶応病院に入院していることです。五月号『働く婦人』編輯後記に短かく報道されていますが、中耳炎になった彼が警察から入院させられた済生会病・・・ 宮本百合子 「ますます確りやりましょう」
・・・用番老中水野越前守忠邦の沙汰で、九郎右衛門、りよは「奇特之儀に付構なし」文吉は「仔細無之構なし」と申し渡された。それから筒井の褒詞を受けて酉の下刻に引き取った。 続いて酒井家の大目附から、町奉行の糺明が済んだから、「平常通心得べし」と、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・彼女はこの朝早く、街に務めている息子から危篤の電報を受けとった。それから露に湿った三里の山路を馳け続けた。「馬車はまだかのう?」 彼女は馭者部屋を覗いて呼んだが返事がない。「馬車はまだかのう?」 歪んだ畳の上には湯飲みが一つ・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫