・・・著者にとりてこれは不幸な偶然であるのかもしれないけれども、第三者の心には、今日の日本の文化の肌理はこうなって来ているかという、一種の感慨を深くさせるのであった。 そして、「学生の生態」という題は、じっとみているうちにまた別の面で私たちの・・・ 宮本百合子 「生態の流行」
・・・ひとが何と云ったってかまわないし、妙なことを云えば、ねじこんでやればいい、という春桃の頸骨のつよさは、中国独特の肌理のこまかい、髪の黒い、しなやかな姿のうちにつつまれている。 パール・バックは、中国の庶民の女の生きる力のつよさ、殆ど毅然・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・の小さい袴をはいた男の児と、リボンをお下げの前髪に結んでメリンスの元禄袖の被布をきた少女で、誠之に通っていたころ、学校はどこもかしこも木造で、毎日数百の子供たちの麻裏草履でかけまわられる廊下も階段も、木目がけばだって埃っぽかった。東片町の通・・・ 宮本百合子 「藤棚」
・・・ダーリヤは、さっと肌理のこまかい頸筋を赧らめた。夫を睨んだ。が、娘っぽい、悪戯らしい頬笑みが、細い、生真面目な唇にひろがった。――マリーナは、彼女の顔の前にまだ新聞をひろげている。 皆が飲み終る頃、二階じゅうを揺り動かして、羅紗売りのス・・・ 宮本百合子 「街」
・・・しかしなるたけ思わないようにしている。極めずに置く。画をかくには極めなくても好いからね。」「そんなら君が仮に僕の地位に立って、歴史を書かなくてはならないとなったら、どうする。」「僕は歴史を書かなくてはならないような地位には立たない。・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・翌日ごろはいずれも決めて鎌倉へいでましなさろうに……後れては……」「それもそうじゃ,そうでおじゃる。さらば物語は後になされよ。とにかくこの敗軍の体を見ればいとど心も引き立つわ」「引き立つわ、引き立つわ、糸のように引き立つわ。和主もこ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ナポレオンの腹の上では、径五寸の田虫が地図のように猖獗を極めていた。この事実を知っていたものは貞淑無二な彼の前皇后ジョセフィヌただ一人であった。 彼の肉体に植物の繁茂し始めた歴史の最初は、彼の雄図を確証した伊太利征伐のロジの戦の時である・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・私は漁師の群れに投じてともに働くか、でなければ傍観者としての自己の立場を是認するか、いずれかに道を極めなければならなくなった。そして私の頭には百姓とともに枯れ草を刈るトルストイの面影と、地獄の扉を見おろして坐すべきあの「考える人」の姿とが、・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫