・・・ 九時すぎて、電車、バスの罷業破り運転も休止すると、電車通りを円タクが乱暴に疾駆しはじめた。 私はくたびれて家へ帰った。茶の間へ入ると、「あーラ、お姉さんかえって来た!」と、いい年をして弟妹どもが噪いで手をたたいた。・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・一月三十日、父の急死によって葬儀のために仮出獄した。二月。二月二十六日事件を裁判所で知った。小使がつい、予審判事に戒厳令という言葉を言ったために。三月。下旬、予審終結。ひどく健康を害していたために市ヶ谷からじかに慶応大学病院に入・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・翌々年に膵臓膿腫を患い、九死に一生を得たときも、母が讚歎したのはやはりその力であった。母は、彼女を生かし、楽しますために周囲の人々が日夜つくしている心づかいや努力を、そのものとして感じとり評価する能力は失ってしまっていた。母が家庭の中で自分・・・ 宮本百合子 「母」
・・・ 弥一右衛門はその日詰所を引くと、急使をもって別家している弟二人を山崎の邸に呼び寄せた。居間と客間との間の建具をはずさせ、嫡子権兵衛、二男弥五兵衛、つぎにまだ前髪のある五男七之丞の三人をそばにおらせて、主人は威儀を正して待ち受けている。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・三郎は寝鳥を取ることが好きで邸のうちの木立ち木立ちを、手に弓矢を持って見廻るのである。 二人は父母のことを言うたびに、どうしようか、こうしようかと、逢いたさのあまりに、あらゆる手立てを話し合って、夢のような相談をもする。きょうは姉がこう・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・死とは活動の休止であり組織の解体であるがゆえに死後の生があるわけはない。この事実から眼をそむけて神と死後の生とを仮構するのは、現実をありのままに受容するに堪えない卑怯者の所作に過ぎぬ。――かくのごとき常識にとっては「神が死んだ」という宣告の・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・死相をそのまま現わしたような翁や姥の面はいうまでもなく、若い女の面にさえも急死した人の顔面に見るような肉づけが認められる。能面が一般に一味の気味悪さを湛えているのはかかる否定性にもとづくのである。一見してふくよかに見える面でも、その開いた眼・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
・・・だからその肉づけの感じは急死した人の顔面にきわめてよく似ている。特に尉や姥の面は強く死相を思わせるものである。このように徹底的に人らしい表情を抜き去った面は、おそらく能面以外にどこにも存しないであろう。能面の与える不思議な感じはこの否定性に・・・ 和辻哲郎 「面とペルソナ」
・・・キーツが山の人の衣を着くる時ウィルヘルム・テルは弓矢を持って出現する。テルは詩人の理想に生まれた第一義の人である。 霊の権威を知り、多少内的生命を有する人にしてなお虚栄に沈湎して哀れむべき境地に身を置く人がある。虚栄は果てなき砂の文字で・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫