・・・ 吉助「されば稀有な事でござる。折から荒れ狂うた浪を踏んで、いず方へか姿を隠し申した。」 奉行「この期に及んで、空事を申したら、その分にはさし置くまいぞ。」 吉助「何で偽などを申上ぎょうず。皆紛れない真実でござる。」 奉行は・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・を憂えるのは、杞憂と云えば杞憂である。彼はその杞憂のために、自分を押込め隠居にしようとした。あるいはその物々しい忠義呼わりの後に、あわよくば、家を横領しようとする野心でもあるのかも知れない。――そう思うと修理は、どんな酷刑でも、この不臣の行・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 破提宇子の流布本は、華頂山文庫の蔵本を、明治戊辰の頃、杞憂道人鵜飼徹定の序文と共に、出版したものである。が、そのほかにも異本がない訳ではない。現に予が所蔵の古写本の如きは、流布本と内容を異にする個所が多少ある。 中でも同書の第三段・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・これらの偉大な学者や実際運動家は、その稀有な想像力と統合力とをもって、資本主義生活の経緯の那辺にあるかを、力強く推定した点においては、実に驚嘆に堪えないものがある。しかしながら彼らの育ち上がった環境は明らかに第四階級のそれではない。ブルジョ・・・ 有島武郎 「片信」
・・・それが高島田だったというからなお稀有である。地獄も見て来たよ――極楽は、お手のものだ、とト筮ごときは掌である。且つ寺子屋仕込みで、本が読める。五経、文選すらすらで、書がまた好い。一度冥途をってからは、仏教に親んで参禅もしたと聞く。――小母さ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ で、どこまで一所になるか、……稀有な、妙な事がはじまりそうで、危っかしい中にも、内々少からぬ期待を持たせられたのである。 けれども、その男を、年配、風采、あの三人の中の木戸番の一人だの、興行ぬしだの、手品師だの、祈祷者、山伏だの、・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・一体、悪魔を払う趣意だと云うが、どうやら夜陰のこの業体は、魑魅魍魎の類を、呼出し招き寄せるに髣髴として、実は、希有に、怪しく不気味なものである。 しかもちと来ようが遅い。渠等は社の抜裏の、くらがり坂とて、穴のような中を抜けてふとここへ顕・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 仔細は希有な、…… 坊主が土下座して「お慈悲、お慈悲。」で、お願というのが金でも米でもない。施与には違いなけれど、変な事には「お禁厭をして遣わされい。虫歯が疚いて堪え難いでな。」と、成程左の頬がぷくりとうだばれたのを、堪難い状に掌・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・大抵は悪紙に描きなぐった泥画であるゆえ、田舎のお大尽や成金やお大名の座敷の床の間を飾るには不向きであるが、悪紙悪墨の中に燦めく奔放無礙の稀有の健腕が金屏風や錦襴表装のピカピカ光った画を睥睨威圧するは、丁度墨染の麻の衣の禅匠が役者のような緋の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・報導班員として武田さんほど何も書かなかった作家は稀有である。奥床しい態度であった。帰還後一、二作発表したが、武田さんの野心はまだうかがえなかった。象徴の門の入口まで行って、まだ途まどいしていた。終戦になった。私は武田さんは何を書くだろうかと・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
出典:青空文庫