・・・ちょうど、夏川の水から生まれる黒蜻蛉の羽のような、おののきやすい少年の心は、そのたびに新たな驚異の眸を見はらずにはいられないのである。ことに夜網の船の舷に倚って、音もなく流れる、黒い川をみつめながら、夜と水との中に漂う「死」の呼吸を感じた時・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・保吉はだんだん不平の代りにこの二すじの線に対する驚異の情を感じ出した。「じゃ何さ、このすじは?」「何でしょう? ほら、ずっと向うまで同じように二すじ並んでいるでしょう?」 実際つうやの云う通り、一すじの線のうねっている時には、向・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・現に、最近、教授連が考案した、価値測定器の如きは、近代の驚異だと云う評判です。もっとも、これは、ゾイリアで出るゾイリア日報のうけ売りですが。」「価値測定器と云うのは何です。」「文字通り、価値を測定する器械です。もっとも主として、小説・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・聖書の内容を生活としっかり結び付けて読む時に、今でも驚異の眼を張り感動せずに居られません。然し今私は性欲生活にかけて童貞者でないように聖書に対してもファナティックではなくなりました。是れは悪い事であり又いい事でした。楽園を出たアダムは又楽園・・・ 有島武郎 「『聖書』の権威」
・・・ 花火の中から、天女が斜に流れて出ても、群集はこの時くらい驚異の念は起すまい。 烏帽子もともにこの装束は、織ものの模範、美術の表品、源平時代の参考として、かつて博覧会にも飾られた、鎌倉殿が秘蔵の、いずれ什物であった。 さて、遺憾・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・その通りに椿岳の画も外国人が買出してから俄に市価を生じ、日本人はあたかも魔術者の杖が石を化して金とするを驚異する如くに眼をって忽ち椿岳蒐集熱を長じた。 因襲を知るものは勢い因襲に俘われる。日本人は画の理解があればあるほど狩野派とか四条派・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 二十五年前には文学士春の屋朧の名が重きをなしていても、世間は驚異の目をって怪しんだゝけで少しも文学を解していなかった。議会の開けるまで惰眠を貪るべく余儀なくされた末広鉄腸、矢野竜渓、尾崎咢堂等諸氏の浪花節然たる所謂政治小説が最高文学と・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・活動写真は、たゞ眼先をいろ/\に換えて其の間に、驚異と人情とを印象させるようにするけれど、もとより稀薄たるを免れない。しばらくは忘れることの出来ぬようなものであってもやがては忘れてしまうのです。凡そその程度のものであるから、もとより享楽すべ・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・ あるときは、雨がつづいて、出水のために、あるときは、すさまじいあらしのために、また真に怖ろしい雪のために、その脅威は一つではなかったのです。 同じ生命を有している人間のすることにくらべて、はかり知れない、暴力の所有者である自然のほ・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・ さらに、私は、雲に対して、驚異を感ずるのだった。いかにして、あの鏡の如き空に、生ずるかを。その始めは、一片の毛の飛ぶに似たるものが、一瞬の後に、至大な勢力となり、さらに、一瞬の後には、ついに満天を掩いつくすを珍らしとしない。小なるもの・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
出典:青空文庫