・・・こんな時にはかたくななジュセッポの心も、海を越えて遥かなイタリアの彼方、オレンジの花咲く野に通うて羇旅の思いが動くのだろうと思いやった事もある。細君は珍しいおとなしい女で、口喧ましい夫にかしずく様はむしろ人の同情をひくくらいで、ついぞ近所な・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・秋雨蕭々として虫の音草の底に聞こえ両側の並松一つに暮れて破駅既に近し。羇旅佳興に入るの時汽車人を載せて大磯に帰る。 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・三人は日ごとに顔を見合っていて気が附かぬが、困窮と病痾と羇旅との三つの苦艱を嘗め尽して、どれもどれも江戸を立った日の俤はなくなっているのである。 文吉がこの話をした翌日の朝であった。相宿のものがそれぞれ稼に出た跡で、宇平は九郎右衛門の前・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫