・・・和漢の稗史野乗を何万巻となく読破した翁ではあるが、これほど我を忘れて夢中になった例は余り多くなかったので、さしもの翁も我を折って作者を見縊って冷遇した前非を悔い、早速詫び手紙を書こうと思うと、山出しの芋掘書生を扱う了簡でドコの誰とも訊いて置・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・あのいい音色で歌う鳥は、姿もまた美しいには相違ないけれど、みずみずしい木の芽を見つけると、きっと、それをくちばしでつついて、食い切ってしまうからです。そのくせ、鳥は木が大きくなってしげったあかつきには、かってにその枝に巣を造ったり、また夜に・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・ 彼は、自分の未だ至らぬのを心の中で、悔いたのでありました。 小川未明 「空晴れて」
・・・それはちょうど、寒い雪の降る国に生まれたものが、暖かな、いつも春のような気候の国に生まれなかったことを悔い、貧乏な家に生まれたものが、金持ちの家に生まれて出なかったことをのろうようなものであります。 けれど、それはしかたがないことであり・・・ 小川未明 「小さな赤い花」
・・・ それから、二三日経ってある朝、銭占屋は飯を食いかけた半ばにふと思いついたように、希しく朝酒を飲んで、二階へ帰るとまた布団を冠って寝てしまった。女房は銭占屋の使で町まで駿河半紙を買いに行ったし、私も話対手はなし、といってすることもないか・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ところが或日若夫婦二人揃で、さる料理店へ飯を食いに行くと、またそこの婢女が座蒲団を三人分持って来たので、おかしいとは思ったが、何しろ女房の手前もあることだから、そこはその儘冗談にまぎらして帰って来たが、その晩は少し遅くなったので、淋しい横町・・・ 小山内薫 「因果」
・・・ 彼はまず、カレーライスを食い、天丼を食べた。そして、一寸考えて、オムライスを注文した。 やがて、それを平げると、暫らく水を飲んでいたが、ふと給仕をよんで、再びカレーライスを注文した。十分後にはにぎり寿司を頬張っていた。 私は彼・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・を書こうとしたのか、新吉ははげしい悔いを感じながら、しかしふと道が開けた明るい想いをゆすぶりながら、やがて帰りの電車に揺られていた。 一時間の後、新吉が清荒神の駅に降り立つと、さっきの女はやはりきょとんとした眼をして、化石したように動か・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・「何も食いません。」「水は飲まんじゃったか?」「敵の吸筒を……看護長殿、今は談話が出来ません。も少し後で……」「そうじゃろうそうじゃろう寝ろ寝ろ。」 また夢に入って生体なし。 眼が覚めてみると、此処は師団の仮病舎。枕・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ やがて食い足った子供等は外へ出て、鬼ごっこをし始めた。長女は時々扉のガラスに顔をつけて父の様子を視に来た。そして彼の飲んでるのを見て安心して、また笑いながら兄と遊んでいた。 厭らしく化粧した踊り子がカチ/\と拍子木を鼓いて、その後・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫