・・・その文章駆使に当って、いま一そう、ひそかに厳酷なるところあったなら、さらに申し分なかったろうものを。わが儘という事 文学のためにわがままをするというのは、いいことだ。社会的には二十円三十円のわがまま、それをさえできず、い・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・しかし以上略説したところからでも、映画なるものがいかに自由に時間空間を駆使し統御しうるかを想像することはできるであろう。そういう意味で、映画芸術はほんとうに時と空間をひとまとめにしたいわゆる四次元空間に殿堂を築き上げる建築の芸術であるという・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ ロシア映画で常に気づくことはカメラの向け方から来る構図の美しさ、ことにまた画面における線や明暗のリズミカルな駆使である。「大地」の場合においても、たとえば三人の管理人が小高い所へ立って桜ん坊か何かつまんでは吐き出しながらトラクターの来・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 人間は自然を征服し自然を駆使していると思っている。しかし自然があばれだすと手がつけられないことを忘れがちである。全国至るところにある発電所の堰堤のどれかが、たとえば大地震のためにこわれたら、その時には人間の弱さがはっきりわかるであろう・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・は目も耳も指も切り取って、あらゆる外界との出入り口をふさいで、そうして、ただ、生きていることと、考えることとだけで科学を追究し、自然を駆使することができるのではないかという空想さえいだかせられる恐れがある。しかし、それがただの夢であることは・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・のテクニークに通暁しているばかりでなく、その対象に関する十分な知識をもっていることが絶対に必要である。それかといって単なる学者では勿論駄目である。「映像の言葉」の駆使に熟達した映画監督の資格を同時に具えていなければならない。そういう人はなか・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・従って世間からうるさく取りすがられ駆使される事なしに、そっとして構わないでおいてもらう事に最大の幸福を感ずるたちの人ではなかろうかと想像される。こういう型の学者があるとすれば、それを世間が本当に尊重するつもりなら、やはりはたから構わないで自・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・しかし同じ源から出たエネルギーはせち辛い東京市民に駆使される時に苦しい唸き声を出し、いらだたしい火花を出しながら駆使者の頭上に黒い呪を投げている。 科学の示す可能の範囲は多くの人の予想以外に広いものである。それにもかかわらず現代の応用科・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・ この潜在意識によるモンタージュの方法は連俳において最も顕著に有効に駆使せられる。連句付け合わせの付け心は薄月夜に梅のにおえるごとくあるべしというのはまさにこれをさすのである。におい、響き、移り、おもかげ、位、景色などというのも畢竟はこ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・そうだとすればこれらの人々を駆使している家主が責任を負わなければなるまい。しかし中には暇はあっても不精であったり、またわざわざ出かけるよりも室の片すみで茶をのんだりカルタでもやるほうがいいという人があるならばそれはその人々の勝手である。・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
出典:青空文庫