・・・何をくよくよ海べの棕櫚はさ。……」「それから?」「それでもうおしまいだよ。」「何だつまらない。」 僕はこう云う対話の中にだんだん息苦しさを感じ出した。「ジァン・クリストフは読んだかい?」「ああ、少し読んだけれども、…・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・私は常に自分の実生活の状態についてくよくよしている。そして、その生活と芸術との間に、正しい関係を持ちきたしたいと苦慮している、これが私の心の実状である。こういう心事をもって、私はみずからを第一の種類の芸術家らしく装うことはできない。装うこと・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・ 一体三味線屋で、家業柄出入るものにつけても、両親は派手好なり、殊に贔屓俳優の橘之助の死んだことを聞いてから、始終くよくよして、しばらく煩ってまでいたのが、その日は誕生日で、気分も平日になく好いというので、髪も結って一枚着換えて出たので・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・私はまだ九歳時分のことだから、どんなだか、くわしい訳は知らないけれど、母様は、お前、何か心配なことがあって、それで世の中が嫌におなりで、くよくよしていらっしゃったんだが、名高い尼様だから、話をしたら、慰めて下さるだろうって、私の手を引いて、・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・そんなにくよくよおしでないよ。僕は学校へ行ったて千葉だもの、盆正月の外にも来ようと思えば土曜の晩かけて日曜に来られるさ……」「ほんとに済みません。泣面などして。あの常さんて男、何といういやな人でしょう」 民子は襷掛け僕はシャツに肩を・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・今日はな、種井を浚うから手伝え。くよくよするない、男らしくもねい」 兄のことばの終わらぬうちに省作は素足で庭へ飛び降りた。 彼岸がくれば籾種を種井の池に浸す。種浸す前に必ず種井の水を汲みほして掃除をせねばならぬ。これはほとんどこの地・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「うちの人の様にくよくよしとると、ほんまにあきまへん。」「そやかさいおれは不大胆の厭世家やて云うとる。弾丸が当ってくれたのはわしとして名誉でもあったろが、くたばりそこねてこないな耻さらしをするんやさかい、矢ッ張り大胆な奴は仕合せにも・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・貴女も今言ったように、くよくよ為ないで、身体を大事にお暮しなさい。」「難有う御座います。」 夜の更くるを恐れて二人は後へ返し、渓流に渡せる小橋の袂まで帰って来ると、橋の向うから男女の連れが来る。そして橋の中程ですれちがった。男は三十・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・己はまた詰まらなくくよくよと物案じをし出したな。ほんにほんに人の世には種々な物事が出来て来て、譬えば変った子供が生れるような物であるのに、己はただ徒に疲れてしまって、このまま寝てしまわねばならぬのか。(家来ランプを点して持ち来り、置いて帰り・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・あなたのお体のことは、勿論絶えず念頭にありますが、私は決してくよくよ案じては居りません。そのことは、呉々御安心下さい。自然の治癒力について私は自分の経験から或理解をもって居りますし、あなたという方をも亦更によく理解して居りますから。根本的に・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫