・・・ 薬罐のくらくら煮立っているのが、吉弥のむしゃくしゃしているらしい胸の中をすッかり譬えているように、僕の妻には見えた。 大きな台どころに大きな炉――くべた焚木は燃えていても、風通しのいいので、暑さはおぼえさせなかった。「けちな野・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・だが、まもなく頭がくらくらして前後が分らなくなった。そして眠るように、意識は失われてしまった。 彼の四肢は凍った。そして、やがて、身体全体が固く棒のように硬ばって動かなくなった。 ……雪が降った。 白い曠野に、散り散りに横た・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・魚容は気抜けの余りくらくら眩暈して、それでも尚、この場所から立ち去る事が出来ず、廟の廊下に腰をおろして、春霞に煙る湖面を眺めてただやたらに溜息をつき、「ええ、二度も続けて落第して、何の面目があっておめおめ故郷に帰られよう。生きて甲斐ない身の・・・ 太宰治 「竹青」
・・・見ただけで頭がくらくらしそうである。そうしてそれらの挿図の説明はというとほとんど空っぽである。全く挿図のレビューである。そのうちの一つだけにして他は割愛して、その代りその一つをもう少し詳しく分かるように説明した方が本当の「物理」を教えるため・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・ そこでみんなは粟つぶのコップで舶来ウィスキーを一杯ずつ呑んで、くらくら、キーイキーイと、ねむってしまいました。 次の朝またお日さまがおのぼりになりますと、とのさまがえるは云いました。「おい、みんな。集れ。今日もどこからも仕事を・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・どうも僕は少しくらくらしますね。いろいろお話ししますから、あなたただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせお返事をしたって僕のところへ届きはしませんから、それから僕の話でおもしろくないことがあったら横の方に頭を振ってください。これは、・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・豚は実に永い間、変な顔して、眺めていたが、とうとう頭がくらくらして、いやないやな気分になった。いきなり向うの敷藁に頭を埋めてくるっと寝てしまったのだ。 晩方になり少し気分がよくなって、豚はしずかに起きあがる。気分がいいと云ったって、結局・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・ 目がくらくらする様な気になりながら私は一番奥に居る事だと思ったので西洋間へ速い足どりで入った。と、私は棒立ちに立ちすくんでしまった。それと同時に止めても止らない涙がスルスルスルスルと頬をながれ下った。まあ何と云う事だろう。 一番先・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ほんとに、敗けたと聞いて、くらくらッとしたんだわ。どうでしょう。」 妻のそういう傍で、梶は、栖方の発狂はもうすでにあのときから始っていたのだと思われた。彼の云ったりしたりしたことは、あることは事実、あることは夢だったのだと思った。そして・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫