・・・もうそのころは、ぼんやり暗くなって、まだ三時にもならないに、日が暮れるように思われたのです。こどもは力もつきて、もう起きあがろうとしませんでした。雪童子は笑いながら、手をのばして、その赤い毛布を上からすっかりかけてやりました。「そうして・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・折角死んでも、それを食べて呉れる人もなし、可哀そうに、魚はみんなシャベルで釜になげ込まれ、煮えるとすくわれて、締木にかけて圧搾される。釜に残った油の分は魚油です。今は一缶十セントです。鰯なら一缶がまあざっと七百疋分ですねえ、締木にかけた方は・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・一ドル呉れるの。」 紳士が下の浅黄色のもやの中で云いました。「うん。一ドルやる。しかしパンが一日一ドルだからな。一日十斤以上こんぶを取ったらあとは一斤十セントで買ってやろう。そのよけいの分がおまえのもうけさ。ためて置いていつでも払っ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・ いつ呼んでも来て呉れる心安い、明けっぱなしで居られる友達の有難味を、離れるとしみじみと感じる。 彼の人が来れば仕事の有る時は、一人放って置いて仕事をし、暇な時は寄っかかりっこをしながら他愛もない事を云って一日位座り込んで居る。・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 麦粉菓子を呉れる者があった。「寒さに向って、体気をつけなんしょよ」と或る者は真綿をくれた。元村長をした人の後家のところでは一晩泊って、綿入れの着物と毛糸で編んだ頭巾とを貰った。古びた信玄袋を振って、出かけてゆく姿を、仙二は嫌悪・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・又自分達がいなくなってからも、どうぞ正しい立派な、神のお悦びになるような心で、大きく成って呉れるようにと、お願いになった事でしょう。その願いや愛が、政子さんの心の中にみな籠められている筈なのです。 樹木でさえ、親木が年寄って倒れれば、き・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ こういう人間の大切な問題について、分りよく教えて呉れるような教課書は一冊もありません。音楽とか、絵画とか、芝居とかいう芸術を通じて、人間の生活は高貴なものであって、美しく正しく生きようとするよろこびにこそ生き甲斐があるということを教え・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・戦いに年が暮れるのだろうか。 この間二晩つづけて、東京には提灯行列があった。ある会があって、お濠端の前の建物のバルコンから、その下に蜿蜒と進行する灯の行列を眺め「勝たずば生きてかえらじと」の節の楽隊をきいた。あとになって銀座へ出たら、そ・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・ デモは日が暮れるまでに終ったが、ソヴェトのメーデーはこれですんだんじゃあない。 夜はイルミネーションだ。 その壮観を見物しようとして押しかけて来た家族連れの群集で、夜の赤い広場がまたえらい人出だ。 モスクワ市発電所の虹のよ・・・ 宮本百合子 「勝利したプロレタリアのメーデー」
・・・しかし順番がなかなか来ぬので、とうとう日の暮れるまで待った。何も食わずに、腹が耗ったとも思わずにいたのである。暮六つが鳴ると、神主が出て「残りの番号の方は明朝お出なさい」と云った。 次の日には未明に文吉が社へ往った。番号順は文吉より前な・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫