・・・と書いた大きな棒ぐいを見ないわけにはゆかなかった。否、ひとり、棒ぐいのみではない。そのかたわらの鉄網張りの小屋の中に古色を帯びた幾面かのうつくしい青銅の鏡が、銅像鋳造の材料として積み重ねてあるのも見ないわけにはゆかなかった。梵鐘をもって大砲・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・ ト挨拶をしそうにして、赤ら顔に引添って、前へ出ると、ぐい、と袖を取って引戻されて、ハッと胸で気を揉んだ褄の崩れに、捌いた紅。紅糸で白い爪先を、きしと劃ったように、そこに駒下駄が留まったのである。 南無三宝! 私は恥を言おう。露に濡・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・小さな御幣の、廻りながら、遠くへ離れて、小さな浮木ほどになっていたのが、ツウと浮いて、板ぐるみ、グイと傾いて、水の面にぴたりとついたと思うと、罔竜の頭、絵ける鬼火のごとき一条の脈が、竜の口からむくりと湧いて、水を一文字に、射て疾く、船に近づ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・それはね、あの、うぐい亭――ずッと河上の、川魚料理……ご存じでしょう。」「知ってるとも。――現在、昨日の午餉はあすこで食べたよ。閑静で、落着いて、しんみりして佳い家だが、そんな幽霊じみた事はいささかもなかったぜ。」「いいえ、あすこの・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 処へ…… 一目その艶なのを見ると、なぜか、気疾に、ずかずかと飛着いて、下りる女とは反対の、車掌台の方から、……早や動出す、鉄の棒をぐいと握って、ひらりと乗ると、澄まして入った。が、何のためにそうしたか、自分でもよくは分らぬ。 ・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・しかし、玉子はけちくさい女で、買いぐいの銭などくれなかったから、私はふと気前のよかった浜子のことを想いだして、新次と二人でそのことを語っていると、浜子がまるで生みの母親みたいに想われて、シクシク泣けてきたとは、今から考えると、ちょっと不思議・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 横井は彼の訪ねて来た腹の底を視透かしたかのように、むずかしい顔をして、その角張った広い顔から外へと跳ねた長い鬚をぐい/\と引張って、飛び出た大きな眼を彼の額に据えた。彼は話題を他へ持って行くほかなかった。「でも近頃は節季近くと違っ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・衣服はびしょぬれになる、これは大変だと思う矢先に、グイグイと強く糸を引く、上げると尺にも近い山の紫と紅の条のあるのが釣れるのでございます、暴れるやつをグイと握って籠に押し込む時は、水に住む魚までがこの雨に濡れて他の時よりも一倍鮮やかで新しい・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・乃公もグイと癪に触ったから半時も居らんでずんずん宿へ帰ってやった」と一杯一呼吸に飲み干して校長に差し、「それも彼奴等の癖だからまア可えわ、辛棒出来んのは高山や長谷川の奴らの様子だ、オイ細川、彼等全然でだめだぞ、大津と同じことだぞ、生意気・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・想像は、一とたび浮び上って来ると、彼をぐい/\引きつけて行った。それは、彼の意志でどうすることも出来なかった。彼はただ従僕のように、想像のあとについて、引きずりまわされた。 想像は、いつのまにか、彼を丸文字屋の店へ引っぱって行っていた。・・・ 黒島伝治 「窃む女」
出典:青空文庫