・・・毛虫は薄いトタン屋根の上にかすかな音を立てたと思うと、二三度体をうねらせたぎり、すぐにぐったり死んでしまいました。それは実に呆っ気ない死です。同時にまた実に世話の無い死です。――「フライ鍋の中へでも落ちたようですね。」「あたしは毛虫・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・そこには又男女の子供たちが何人も泳いだりもぐったりしていた。僕はこのプウルを後ろに向うの松林へ歩いて行った。すると誰か後ろから「おとうさん」と僕に声をかけた。僕はちょっとふり返り、プウルの前に立った妻を見つけた。同時に又烈しい後悔を感じた。・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・最愛最惜の夫人の、消息の遅さを案じて、急心に草を攀じた欣七郎は、歓喜天の御堂より先に、たとえば孤屋の縁外の欠けた手水鉢に、ぐったりと頤をつけて、朽木の台にひざまずいて縋った、青ざめた幽霊を見た。 横ざまに、杖で、敲き払った。が、人気勢の・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・と言いさま、ぐったりと膝を支いた。胸を衝と反らしながら、驚いた風をして、「どうして貴下。」 とひょいと立つと、端折った太脛の包ましい見得ものう、ト身を返して、背後を見せて、つかつかと摺足して、奥の方へ駈込みながら、「もしえ! も・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・と思ったっけ。ああ、酔った。しかし可い心持だ。」とぐったり俯向く。「旦那、旦那、さあ、もう召して下さい、……串戯じゃない。」 と半分呟いて、石に置いた看板を、ト乗掛って、ひょいと取る。 鼻の前を、その燈が、暗がりにスーッと上ると・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 紫玉の眉の顰む時、五間ばかり軒を離れた、そこで早や、此方へぐったりと叩頭をする。 知らない振して、目をそらして、紫玉が釵に俯向いた。が、濃い睫毛の重くなるまで、坊主の影は近いたのである。「太夫様。」 ハッと顔を上げると、坊・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・その家の人びとは宵の寝苦しい暑さをそのままぐったりと夢に結んでいるのだろうか、けれども暦を数えれば、坂田三吉のことを書いた私の小説がある文芸雑誌の八月号に載ってからちょうど一月が経とうとして、秋のけはいは早やこんなに濃く夜更けの色に染まって・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・石田は苦味走ったいい男で、新内の喉がよく、彼女が銚子を持って廊下を通ると、通せんぼうの手をひろげるような無邪気な所もあり、大宮校長から掛って来た電話を聴いていると、嫉けるぜと言いながら寄って来てくすぐったり、好いたらしい男だと思っている内に・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そしてぐったりして帰って来た手には三枚の紙幣を握っていた。が、調べてみると、三枚とも証紙の貼ってない旧円だった。葉子はわっと泣き出した。 次の夜また出掛けた。男がからかいに来ると、葉子は、「いやです、いやです、旧円はいやです」・・・ 織田作之助 「報酬」
・・・そのくせ彼は舗道の両側の店の戸が閉まり、ゴミ箱が出され、バタ屋が懐中電燈を持って歩きまわる時刻までずるずると街にいて彷徨をつづけ、そしてぐったりと疲れて乗り込むのは、印で押したようにいつも終電車である。 佐伯が帰って来る頃には、改札口の・・・ 織田作之助 「道」
出典:青空文庫