・・・これで見ると、廓では、人を敬遠する時、我が子を呼ぶに、名を言わず、姓をもってするらしい。…… 矢藤老人――ああ、年を取った伊作翁は、小浜屋が流転の前後――もともと世功を積んだ苦労人で、万事じょさいのない処で、将棊は素人の二段の腕を持・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ところが日本では昔から法科万能で、実務上には学者を疎んじ読書人を軽侮し、議論をしたり文章を書いたり読書に親んだりするとさも働きのない低能者であるかのように軽蔑されあるいは敬遠される。二葉亭ばかりが志を得られなかったのではない。パデレフスキー・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・私のような髪の毛の者が勧誘に行っても、誰も会おうとしないだろうと思ったのか、保険会社すら私を敬遠した。が、私は丸刈りになってまで就職しようとは思わなかった。 このような状態が続けば、私はいたずらに長い髪の毛を抱いて餓死するところであった・・・ 織田作之助 「髪」
・・・内枠だから有利だとしたり気にいってみても追っつかぬ位で、さすがの人々も今日は一番がはいるぞと気づいたが、しかしもうそろそろ風向きが変る頃だと、わざと一番を敬遠したくなる競馬心理を嘲笑するように、やはり単で来て、本命のくせに人気が割れたのか意・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・佐伯が掛けると、誰もその卓子を敬遠した。陰欝な眼をぎょろつかせ、落ち込んだ鈍い光を投げながら、あたり構わずいやな咳をまき散らすからだ。時には手帛を赤く染め、またはげしい息切れが来て真青な顔で暗い街角にしゃがんだまま身動きもしない。なにか動物・・・ 織田作之助 「道」
・・・誰も彼も庄之助の塾を敬遠した。そして弟子は減る一方で、塾はさびれ、彼の暮しは一層みじめなものになった。 そこで彼は、土地の軍楽隊に籍を置いたり、けちな管弦楽団の臨時雇の指揮をしたりして、口を糊しながら、娘の寿子を殆ど唯一人の弟子にして「・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・いきおい末弟は、一家中から敬遠の形である。末弟には、それが不満でならない。長女は、かれのぶっとふくれた不気嫌の顔を見かねて、ひとりでは大人になった気でいても、誰も大人と見ぬぞかなしき、という和歌を一首つくって末弟に与え、かれの在野遺賢の無聊・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・そうして口が大きくなって、いまの若い人たちなどがグロテスクとか何とかいって敬遠したがる種類の風貌を呈してまいりますので、昔の人がこれを、ただものでないとして畏怖したろうという事も想像に難くないのであります。実際また、いま日本の谷川に棲息して・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・こんどは、黒のラシャ地を敬遠して、コバルト色のセル地を選び、それでもって再び海軍士官の外套を試みました。乾坤一擲の意気でありました。襟は、ぐっと小さく、全体を更に細めに華奢に、胴のくびれは痛いほど、きゅっと締めて、その外套を着るときには、少・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・大学を卒業して雑誌社に勤務するようになってからも同じ事で、大隅君は皆に敬遠せられ、意地の悪い二、三の同僚は、大隅君の博識を全く無視して、ほとんど筋肉労働に類した仕事などを押しつける始末なので、大隅君は憤然、職を辞した。大隅君は昔から、決して・・・ 太宰治 「佳日」
出典:青空文庫