・・・「軍司令官閣下の烱眼には驚きました。」 旅団副官は旅団長へ、間牒の証拠品を渡しながら、愛嬌の好い笑顔を見せた。――あたかも靴に目をつけたのは、将軍よりも彼自身が、先だった事も忘れたように。「だが裸にしてもないとすれば、靴よりほか・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・蝶子はむくむく女めいて、顔立ちも小ぢんまり整い、材木屋はさすがに炯眼だった。 日本橋の古着屋で半年余り辛抱が続いた。冬の朝、黒門市場への買出しに廻り道して古着屋の前を通り掛った種吉は、店先を掃除している蝶子の手が赤ぎれて血がにじんでいる・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・僕くらいの炯眼の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者である。 怪談ヨロシ。・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・という小品の描写に、時々はッと思うほどの、憎々しいくらいの容赦なき箇所の在ることは、慧眼の読者は、既にお気づきのことと思います。作者は疲れて、人生に対して、また現実のつつましい営みに対して、たしかに乱暴の感情表示をなして居るという事は、あな・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私は二階堂への路順をたずねた。私は慧眼。この老巡査は、はたして忘れ得ぬ人たちの中のひとりであった。私の手を引かんばかり、はにかむような咄吃の口調で繰りかえし繰りかえし教えて呉れた。なに、二階堂はすぐそのさきに見えているのだ。老憊の一生活人へ・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・と言っているが、あれは、落ちもくそもない、初めから判っているのに、それを自分の慧眼だけがそれを見破っているように言っているのは、いかにももうろくに近い。あれは探偵小説ではないのだ。むしろ、おまえの「雨蛙」のほうが幼い「落ち」じゃないのか。・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・と言われても、ああ慧眼と恐れいったりすることがないともかぎらぬような事態にたちいたるので、デカルト、べつだん卓見を述べたわけではないのである。人は弱さ、しゃれた言いかたをすれば、肩の木の葉の跡とおぼしき箇所に、射込んだふうの矢を真実と呼んで・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・そうして遠いロシアの新映画の先頭に立つ豪傑の慧眼によって掘り出され利用されて行くのを指をくわえて茫然としていなければならないのである。しかも、ロシア人にほんとうに日本の俳諧が了解されようとは考えにくいのに、それだのにそのロシア人の目を一度通・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・けだし蕪村の烱眼は早くこれに注意したるものなるべし。古語 もまた蕪村の好んで用いたるものなり。漢語は延宝、天和の間其角一派が濫用してついにその調和を得ず、其角すらこれより後、また用いざりしもの、蕪村に至りてはじめて成功を得たり。古語は元・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・昨今の世界情勢の中を行く旅行について父藤村氏の「自由主義的慧眼」に希望している希望には、正しく息子蓊助一人のみならず、「夜明け前」を発展的に読む能力を具えた若き全員の希望が参加しているのである。〔一九三六年十月〕・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
出典:青空文庫