・・・それはハワイの写真で、汽船が沢山ならんでいる海の景色や、白い洋服を着てヘルメット帽をかぶった紳士やがあった。その紳士は林のお父さんで、紳士のたっているうしろの西洋建物の、英語の看板のかかった商店が、林の生れたハワイの家だということであった。・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・しかしその眺望のひろびろしたことは、わたくしが朝夕その仮寓から見る諏訪田の景色のようなものではない。 水田は低く平に、雲の動く空のはずれまで遮るものなくひろがっている。遥に樹林と人家とが村の形をなして水田のはずれに横たわっているあたりに・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・婆さんは人が聞こうが聞くまいが口上だけは必ず述べますという風で別段厭きた景色もなく怠る様子もなく何年何月何日をやっている。 余は東側の窓から首を出してちょっと近所を見渡した。眼の下に十坪ほどの庭がある。右も左もまた向うも石の高塀で仕切ら・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・それらの夢の景色の中では、すべての色彩が鮮やかな原色をして、海も、空も、硝子のように透明な真青だった。醒めての後にも、私はそのヴィジョンを記憶しており、しばしば現実の世界の中で、異様の錯覚を起したりした。 薬物によるこうした旅行は、だが・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・それが暗い吹雪の夜は、況して荒涼たる景色であった。 二人の子供は、コムプレッサー、鍛冶場、変電所、見張り、修繕工場、などを見て歩いたが、その親たちは見当らなかった。 深い谷底のような、掘鑿に四つの小さい眼が注がれた。坑夫の子供ではあ・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・けれども景色が余り広いと写実に遠ざかるから今少し狭く細かく写そうと思うて、月が木葉がくれにちらちらして居る所、即ち作者は森の影を踏んでちらちらする葉隠れの月を右に見ながら、いくら往ても往ても月は葉隠れになったままであって自分の顔をかっと照す・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・先生は手に取るように向うの景色だの見て来ることだの話した。津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白老のアイヌ部落、室蘭、ああ僕は数えただけで胸が踊る。五時間目・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・展開されゆく道中の景色を楽しく語合うことも出来ますし、それに一人旅のような無意味な緊張を要しないで気安い旅が出来るように思います。煩いのない静かなところに旅行して暫く落ちついてみたい――こんな慾望を持っていますが、さて容易いようで実行できな・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
・・・樺の木箱、蝋石細工、指環、頸飾、インク・スタンド。 成程これは余分なルーブルをポケットに入れている人間にとっては油断ならぬ空間的、時間的環境だ。少くともここに押しよせた連中は二十分の停車時間の間に、たった一人ののぼせた売子から箱かインク・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ そのことを知っている農民作家は、それ故、田舎娘の赤いエプロンと、ゆっくりした碧い瞳の動き、牛の鳴声、ポプラの若葉に光るガラス玉の頸飾ばかりを書いているのではない。村のコムソモールの生活も、トラクターも書く。しかし、年とった農民がそのト・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
出典:青空文庫