・・・ まもなく刑事と警察医らしい人たちが来て、はじめて蚊帳を取り払い、毛布を取りのけ寝巻の胸を開いてからだじゅうを調べた。調べながら刑事の一人が絶えず自分の顔をじろじろ見るのが気味悪く不愉快に感ぜられた。B教授の禿頭の頂上の皮膚に横にひと筋・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・またそういうものを記述する事によって各自の職務の遂行上有益な啓示を得る場合もかなり多いだろうと思われる。 こういう大新聞社の経営を少数な資本家の手にゆだねるのは穏当ではあるまい、これはむしろ全国民自身か、少なくもその大部分の共同経営によ・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・処々の交番なり電車停留所に掲示するもいいだろうし、処々に信号の旗を立てるもいいだろう。 不幸の広告なども一週間とは待てない種類のものだと考えられるかもしれない。しかし私の考えでは、不幸の知らせは元来書状でほんとうの意味の知友にのみ出すべ・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・ また物理学者は電子や原子の問題の追究に忙しくて、到底日常眼前の現象を省みる暇がないありさまであるから、渦巻の現象が吾人に啓示しつつある問題のほうにふり向く機会がありそうには思われない。しかしたとえば液体の渦の生成や分布や相互作用につい・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・しかしそれは単に原子電子の世界に関する事ばかりでなく、これらの原子電子から構成されているすべての世界における因果関係に対する考え方の立て直しを啓示するように見える。 いかに現在の計測を精鋭にゆきわたらせることができたとしても、過去と・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・またわれわれの科学的想像力の枯渇した場合に啓示の霊水をくむべき不死の泉である。また知識の中毒によって起こった壊血症を治するヴィタミンである。 現代科学の花や実の美しさを賛美するわれわれは、往々にしてその根幹を忘却しがちである。ルクレチウ・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・学者によって研究されればその結果はわれら連句の徒弟に対して興味があり有益であるというだけでなく、一般心理現象中で他の場合にはあまり現われないような特異な潜在的現象を追跡し研究するための一つの新しい道を啓示するような事にもなりはしないかと思わ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・粘液質などという言葉が何かの啓示のように耳にひびく。あるいは笑いの断続の「週期」と体質や気質との関係を考えさせられる。またかりに「笑い」が人類に特有な現象だとすれば、他の動物では質量弾力摩擦の配合が週期運動の条件を満足させないために振動が無・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・命をとられる程のこともあるまいと思った彼であった。刑事や正服に護られて、会社から二丁と離れてない自分の家へ、帰ったのだった。そして負傷した身体を、二階で横たえてから、モウ五六日経った朝のことなのである。 お初が、上って来た。「検挙ら・・・ 徳永直 「眼」
・・・ 夜は忽ち暗黒の中に眺望を遮るのみか、橋際に立てた掲示板の文字さえ顔を近づけねば読まれぬほどにしていた。掲示は通行の妨害になるから橋の上で釣をすることを禁ずるというのである。しかしわたくしは橋の欄干に身を倚せ、見えぬながらも水の流れを見・・・ 永井荷風 「放水路」
出典:青空文庫