・・・われ、さらにまた南蛮の画にて見たる、悪魔の凄じき形相など、こまごまと談りければ、夫人も今更に「じゃぼ」の恐しさを思い知られ、「さてはその蝙蝠の翼、山羊の蹄、蛇の鱗を備えしものが、目にこそ見えね、わが耳のほとりに蹲りて、淫らなる恋を囁くにや」・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・……媼の形相は、絵に描いた安達ヶ原と思うのに、頸には、狼の牙やら、狐の目やら、鼬の足やら、つなぎ合せた長数珠に三重に捲きながらの指図でござった。 ……不思議というは、青い腰も血の胸も、死骸はすっくり俎の上へ納って、首だけが土間へがっくり・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・見るから浮薄らしい風の、軽躁な、徹頭徹尾虫の好かぬ男だ。私は顔を見るのもいやです。せっかく楽しみにしてここへ来たに、あの男のために興味索然という目に遇わされた。あんなものと交際して何の益がありましょう。あなたはまたどこがよくって、あんな男が・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・荼枳尼天の形相、真言等をここに記するも益無きことであるし、かつまた自分が飯綱二十法を心得ているわけでもないから、飯綱修法に関することは書かぬが、やはり他の天部夜叉部等の修法の如くに、相伝を得て、次第により如法に修するものであろう。東京近くで・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・作者が肉体的に疲労しているときの描写は必ず人を叱りつけるような、場合によっては、怒鳴りつけるような趣きを呈するものでありますが、それと同時に実に辛辣無残の形相をも、ふいと表白してしまうものであります。人間の本性というものは或いはもともと冷酷・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・涙に濡れ、ほの暗きランプの灯にて、ひとり哀しき絶望の詩をつくり、おのれ苦しく、命のほどさえ危き夜には、薄き化粧、ズボンにプレス、頬には一筋、微笑の皺、夕立ちはれて柳の糸しずかに垂れたる下の、折目正しき軽装のひと、これが、この世の不幸の者、今・・・ 太宰治 「喝采」
・・・おそろしい死の街の不吉な形相を呈していました。それからまもなく、れいのドカンドカン、シュウシュウがはじまりましたけれども、あの毎日毎夜の大混乱の中でも、私はやはり休むひまもなくあの人の手から、この人の手と、まるでリレー競走のバトンみたいに目・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・当時は私だけでなく、所謂純文芸の人たち全部、火宅の形相を呈していたらしい。しかし、他の人たちにはたいてい書画骨董などという財産もあり、それを売り払ってどうにかやっていたらしいが、私にはそんな財産らしいものは何も無かった。これで私が出征でもし・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ジャンパーに、半ズボンという軽装です。乳母車を押していますね。これは、私の小さい女の子を乳母車に乗せて、ちかくの井の頭、自然文化園の孔雀を見せに連れて行くところです。幸福そうな風景ですね。いつまで続く事か。つぎのペエジには、どんな写真が貼ら・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・それからまた珪藻のプレパラートを見せられ、これの視像の鮮明さで顕微鏡の良否が分かると教えられた。その後二十年たってドイツのエナでツァイスの工場を見学したとき、紫外線顕微鏡でこの同じ珪藻の見事な像を蛍光板の上に示されたとき、この幼い記憶が突然・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
出典:青空文庫