・・・行文のあるところは居心持わるく作者の軽佻さえ感ぜしめる。これはどこから来るのであろうか。「子供の世界」という小市民的な一般観念で、階級性ぬきに子供の生活を「意欲をもたぬ純真」なもの、無邪気なもの、天真爛漫な人生前期と提出している点、作者・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・うまれた甲斐には、ねらうべき点を、間ちがえず見つめ、生活内部の軽重ということを、はっきり知っていた。彼れ等の一人も、ため込む為に、金がほしいとは思わなかったでしょう。あの女を俺のものにするには、金がいる、とも考えはしなかったでしょう。或る程・・・ 宮本百合子 「男…は疲れている」
・・・ もじつく子供にそう云って、その小さい肩へ片手をかけて、母たちは熱心に傾聴している。自分で自分を解決してゆこうと欲している。そういう熱意があふれ感じられた。 ひろ子は、さっき建物のそとで待っているときにうけたと同じような感動を、一座・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・それを教会で坊主が読むときには、みんな跪いて傾聴する。開けたり閉めたりする時には、一々接吻する。その本の名は聖書だ。 ところで、聖書には、神の行った実に数々の奇蹟が書かれている。神は全智全能だと書かれている。けれども、妙なことが一つある・・・ 宮本百合子 「モスクワの姿」
・・・ この時、私が、実際生活上に起る諸事の軽重を弁え、兎に角自己の立てるべき処を失わずに日々を処理して行く確かさを持っていなかったことは、状態を一層混乱させました。 大小にかかわらずことごとくが私にとっては極抽象的な「問題」の形をとって・・・ 宮本百合子 「われを省みる」
・・・忠利の兄与一郎忠隆の下についていたので、忠隆が慶長五年大阪で妻前田氏の早く落ち延びたために父の勘気を受け、入道休無となって流浪したとき、高野山や京都まで供をした。それを三斎が小倉へ呼び寄せて、高見氏を名のらせ、番頭にした。知行五百石であった・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・十三年四月赤松殿阿波国を併せ領せられ候に及びて、景一は三百石を加増せられ、阿波郡代となり、同国渭津に住居いたし、慶長の初まで勤続いたし候。慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いたされ、丹波国なる小野木縫殿介とともに丹後国田辺城を攻められ候。当時・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
豊太閤が朝鮮を攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智が徳川家の旨を承けて肝いりをして、慶長九年の暮れに、松雲孫、文※の国書は江戸へ差し出した。次は上々官金僉知、朴僉知、喬僉知の三人で、これは・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
京都の高瀬川は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以が掘ったものだそうである。そこを通う舟は曳舟である。元来たかせは舟の名で、その舟の通う川を高瀬川と言うのだから、同名の川は諸国にある。しかし・・・ 森鴎外 「高瀬舟縁起」
・・・平山は次第に熱心に傾聴している。上さんは油断なく酒を三人の杯に注いで廻る。「小川君は磚を一つ一つ卸しながら考えたと云うのだね。どうもこれは塞ぎ切に塞いだものではない。出入口にしているらしい。しかし中に人が這入っているとすると、外から磚が・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫