・・・ 静に放すと、取られていた手がげっそり痩せて、着た服が広くなって、胸もぶわぶわと皺が見えるに、屹と目をみはる肩に垂れて、渦いて、不思議や、己が身は白髪になった、時に燦然として身の内の宝玉は、四辺を照して、星のごとく輝いたのである。 ・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・景気よく馬肉で呷った酒なら、跳ねも、いきりもしようけれど、胃のわるい処へ、げっそり空腹と来て、蕎麦ともいかない。停車場前で饂飩で飲んだ、臓府がさながら蚯蚓のような、しッこしのない江戸児擬が、どうして腹なんぞ立て得るものかい。ふん、だらしやな・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ と両手で頤を扱くと、げっそり瘠せたような顔色で、「一ッきり、洞穴を潜るようで、それまで、ちらちら城下が見えた、大川の細い靄も、大橋の小さな灯も、何も見えぬ。 ざわざわざわざわと音がする。……樹の枝じゃ無い、右のな、その崖の中腹・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・空腹を抱いて、げっそりと落込むように、溝の減った裏長屋の格子戸を開けた処へ、突当りの妾宅の柳の下から、ぞろぞろと長閑そうに三人出た。 肩幅の広いのが、薄汚れた黄八丈の書生羽織を、ぞろりと着たのは、この長屋の主人で。一度戸口へ引込んだ宗吉・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ と金切声を出して、ぐたりと左の肩へ寄凭る、……体の重量が、他愛ない、暖簾の相撲で、ふわりと外れて、ぐたりと膝の崩れる時、ぶるぶると震えて、堅くなったも道理こそ、半纏の上から触っても知れた。 げっそり懐手をしてちょいとも出さない、す・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・就中、法科志望の点取虫の多いのには、げっそりさせられた。彼等は教師の洒落や冗談までノートに取り、しかもその洒落や冗談を記憶して置く必要があるかどうか、即ちそれが試験に出るかどうかと質問したりした。彼等の関心は試験に良い点を取ることであり、東・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 言っているうちに、白崎は、ああ俺は何てへまなことを言ってるんだろうと、げっそりした。だから、すぐ、「しかし、今は歌が……」 好きになりましたよと言い掛けた途端、発車のベルが鳴り、そして汽笛の響きが言葉を消してしまった。 そ・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・四十位のみすぼらしい女で、この寒いのに素足に藁草履をはいていた。げっそりと痩せて青ざめた顔に、落ちつきのない表情を泛べ乍ら、「あのう、一寸おたずねしますが、荒神口はこの駅でしょうか」「はあ――?」「ここは荒神口でしょうか」「・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・つだん悲しみもせず、さもありなんという表情で受けとり、なにそのおれが死んだというデマは実はおれが飛ばしてやったんだと陰気な唇でボソボソ呟き、ケッケッというあやしい笑い声を薄弱な咳の間から垂らしていた。げっそりと肉が落ち、眼ばかり熱っぽく光ら・・・ 織田作之助 「道」
・・・そしてやっと医者を迎えた頃には、もうげっそり頬もこけてしまって、身動きもできなくなり、二三日のうちにははや褥瘡のようなものまでができかかって来るという弱り方であった。ある日はしきりに「こうっと」「こうっと」というようなことをほとんど一日言っ・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
出典:青空文庫