・・・ 従って魔法を分類したならば、哲学くさい幽玄高遠なものから、手づまのような卑小浅陋なものまで、何程の種類と段階とがあるか知れない。 で、世界の魔法について語ったら、一月や二月で尽きるわけのものではない。例えば魔法の中で最も小さな一部・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 図書館は公園の中にあった。龍介は歩きながら、Tがいなかったら、また今晩は変に調子が狂うかもしれないと思った。そう思うと何んだかいないかもしれない気がしてきた。が図書館の入口の電燈が見え始めた時彼は立ち止まった。なぜ自分はこう友だちのと・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・北村君は又芝公園へ移ったが、其処は紅葉館の裏手に方る処で、土地が高く樹木が欝蒼とした具合が、北村君の性質によく協ったという事は、書いたものの中にも出ている。あの芝公園の家は余程気に入ったものと見えて、彼処で書いたものの中には、懐しみの多いも・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・「乙骨先生の講演、これは動きません。それから高瀬さんも出て下さると仰在いました」こう布施は答える。「高瀬は、君、あんまり澄してるからね、ちっと引張出さんけりゃ不可よ」と言って、相川は原の方を見て、「君も引越して来たら、是非吾儕の会の・・・ 島崎藤村 「並木」
東洋協會講演會に於いて、堯舜禹の實在的人物に非ざるべき卑見を述べてより已に三年、しかもこの大膽なる臆説は多くの儒家よりは一笑に附せられしが、林〔泰輔〕氏の篤學眞摯なる、前に『東洋哲學』に、近く『東亞研究』に、高説を披瀝して・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・気のどくなのは、手近の小さな広場をたよって、坂本、浅草、両国なぞのような千坪二千坪ばかりの小公園なぞへにげこんだ人たちです。そんな人は、ぎっしりつまったなり出るにも出られず、みんな一しょにむし焼きにあってしまいました。 そんなわけで、な・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 私の父は以前、浅草公園の瓢箪池のほとりに、おでんの屋台を出していました。母は早くなくなり、父と私と二人きりで長屋住居をしていて、屋台のほうも父と二人でやっていましたのですが、いまのあの人がときどき屋台に立ち寄って、私はそのうちに父をあ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・れ、友を訪れて語るは、この生のよろこび、青春の歌、間抜けの友は調子に乗り、レコオド持ち出し、こは乾杯の歌、勝利の歌、歌え歌わむ、など騒々しきを、夜も更けたり、またの日にこそ、と約した、またの日、ああ、香煙濛々の底、仏間の奥隅、屏風の陰、白き・・・ 太宰治 「喝采」
・・・十六日に、新潟の高等学校で下手な講演をした。その翌日、この船に乗った。佐渡は、淋しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。前から、気がかりになっていたのである。私には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。関西の豊麗、瀬戸内・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ 私は昨年罹災して、この津軽の生家に避難して来て、ほとんど毎日、神妙らしく奥の部屋に閉じこもり、時たまこの地方の何々文化会とか、何々同志会とかいうところから講演しに来い、または、座談会に出席せよなどと言われる事があっても、「他にもっと適・・・ 太宰治 「親友交歓」
出典:青空文庫