・・・実は宮沢が後悔して、僕にあんまり精しく話したもんだから、僕の話もつい精しくなったのだ。跡は端折って話すよ。しかしも一つ具体的に話したい事がある。それはこうなのだ。下女がある晩、お休なさいと云って、隣の間へ引き下がってから、宮沢が寐られないで・・・ 森鴎外 「独身」
・・・私信になっているのは、礼状を遣れば済む。公開書になっているのも、罵詈がしてあれば、棄て置いても好い。あるいは棄て置くのが最紳士らしいかも知れない。また先方にも過誤がある場合には、それを捉えて罵詈の返報をすることも出来る。必ずしも自ら屈して自・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・お佐代さんが茶を酌んで出しておいて、勝手へ下がったのを見て狡獪なような、滑稽なような顔をして、孫右衛門が仲平に尋ねた。「先生。只今のはご新造さまでござりますか」「さよう。妻で」恬然として仲平は答えた。「はあ。ご新造さまは学問をな・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・女の方が何かをひどく古い事のように言うのは、それを悪い事だったと思って後悔した時に限るようですからね。つまり別に分疏がなくって、「時間」に罪を背負わせるのですね。貴夫人。まあ、感心。男。何が感心です。貴夫人。だって旨く当りました・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・十 安次の小屋が組から建てられることに定ったと知ったとき、勘次は母親をその夜秋三の家へ送ったことを後悔した。しかし、今はもうその方が何方にとっても得策であるに拘らず、強いてそれを打ち壊してまでも自分は自分の博愛を秋三に示さね・・・ 横光利一 「南北」
・・・この詞を、フィンクは相手の話を遮るように云って、そして心のうちでは、また下らないことを云ったなと後悔した。「ええ。わたくしはまだ若うございます。」女はさっぱりと云った。そしてそう云いながら微笑んだらしく思われた。それからこう云った。「そ・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・ダガネ、モウ少し過ぎると僕は船乗になって、初めて航海に行くんです。実に楽みなんです。どんな珍しいものを見るかと思って……段々海へ乗出して往く中には、為朝なんかのように、海賊を平らげたり、虜になってるお姫さまを助けるような事があるかも知れませ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・ 中世の末にヨーロッパの航海者たちが初めてアフリカの西海岸や東海岸を訪れたときには、彼らはそこに驚くべく立派な文化を見いだしたのであった。当時のカピタンたちの語るところによると、初めてギネア湾にはいってワイダあたりで上陸した時には、・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・ 私はすぐ口をつぐみました。後悔がひどく心を噛み始めました。人を裁くものは自分も裁かれなければならない。私はあの人を少しでもよくしなければならない立場にありながら、あの人に対する自分の悪感のみを表わしたのです。私の悪感は彼をますます悪く・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・ポルトガルの航海者ヘンリーはすでに乱の始まる七年前に没していたが、しかしアフリカ回航はまだ発展していなかった。だからヨーロッパもまだそんなに先の方に進んで行っていたわけではない。むしろこれから後の一世紀の進歩が目ざましいのである。シャビエル・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫