・・・船医にしろ、原因は卵焼の中毒であると、明らかに認めながら「けれども、永い航海の疲労と三日来の猛暑が船客達の胃腸を弱らせていたからです」と語っている。 このけれどもという短い言葉はその人たちを気の毒に思っている私たちの心もちに固くふれて来・・・ 宮本百合子 「龍田丸の中毒事件」
・・・ その他公開の席でちょいちょい会うきりで、その俥に乗って田端の坂を登って行った時以上私の友としての心持は進みませんでした。 七月二十四日に私は母を連れて福島県の田舎へ出立した。二十六日の昼頃、私の友達からの電報、新聞、ハガキ一度・・・ 宮本百合子 「田端の坂」
・・・茶色クローズの表紙で鼠色紙の扉にノート風の細かいペン字で、 大学図書館ヲ公開スル事 東洋美術発行ノ事とあり、別行に、これは鉛筆で「電燈タングステン燈よろし」続けて、「木彫専門」「襖紙一式」等各建築関係専門店の名と所書きが・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・書庫には、出島和蘭屋敷の絵巻物、対支貿易に使用された信牌、航海図、きりしたんころびに関する書つけ、シーボルトの遺物、フェートン号の航海日誌、羅馬綴の日本語にラテン語を混えた独特な趣味あるミッション・プレス等々価値あるものが沢山ある。 其・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・窓際の硝子蓋の裡に天正十五年の禁教令出島和蘭屋敷の絵巻物、対支貿易に使用された信牌、航海図、切支丹ころびに関する書類、有名なフェートン号の航海日誌、ミッション・プレス等。左の硝子箱に、シーボルト着用の金モウル附礼服が一着飾ってある。小さい陶・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・大衆的なプロレタリアート文学上の意見の相異はどこまでもプロレタリアート農民大衆の前で公開的に行われるべきだ。ソヴェトは『文学新聞』『労働者と芸術』などの上で常に活溌にいろんな問題を批判し清算しつつある。それをまるで箇人的に黒島一人ひっぱり出・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・翌年の〔十二〕月一審判決まで不思議に人影の少い、しかし意味の深い「公開裁判」の法廷がひらかれつづけた。私としては実に多くのことを学んだこの公判の期間をとおして、一九四三年一月スターリングラードにおいて死守の命令をうけたナチス軍が消息・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・という封建的呼びかけをもった女名前の公開状がそれだ。 この文章の中には、実に基本的な事実の誤謬や、無知さが、偶然か故意か、現われている。或る部分はまるっきり間違った反動的風聞を基礎にして書かれた頼りないものだ。 ところで、これらの欠・・・ 宮本百合子 「反動ジャーナリズムのチェーン・ストア」
・・・ ある時は航海の夢も見る。屋の如き浪を凌いで、大洋を渡ったら、愉快だろう。地極の氷の上に国旗を立てるのも、愉快だろうと思って見る。しかしそれにもやはり分業があって、蒸汽機関の火を焚かせられるかも知れないと思うと、enthousiasme・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・その船が不幸にも航海中に風波の難に会って、半難船の姿になって、横み荷の半分以上を流失した。新七は残った米を売って金にして、大阪へ持って帰った。 さて新七が太郎兵衛に言うには、難船をしたことは港々で知っている。残った積み荷を売ったこの金は・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫