・・・太平町の某は十四頭を、大島町の某は犢十頭を殺した。わが一家の事に就いても種々の方面から考えて惨害の感じは深くなるばかりである。 疲労の度が過ぐればかえって熟睡を得られない。夜中幾度も目を覚す。僅かな睡眠の中にも必ず夢を見る。夢はことごと・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ お町が家は、松尾の東はずれでな、往来から岡の方へ余程経上って、小高い所にあるから一寸見ても涼しそうな家さ、おれがいくとお町は二つの小牛を庭の柿の木の蔭へ繋いで、十になる惣領を相手に、腰巻一つになって小牛を洗ってる、刈立ての青草を籠に一・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・ツイ昨年易簀した洋画界の羅馬法王たる黒田清輝や好事の聞え高い前の暹羅公使の松方正作の如きもまた早くから椿岳を蒐集していた。が、椿岳の感嘆者また蒐集家としては以上の数氏よりも遅れているが、最も熱心に蒐集したのは銀座の天居であった。天居といって・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・およそ弁論の雄というは無用の饒舌を弄する謂ではない、鴎外は無用の雑談冗弁をこそ好まないが、かつてザクセンの建築学会で日本家屋論を講演した事がある、邦人にして独逸語を以て独逸人の前で演説したのは余を以て嚆矢とすというような論鋒で、一々『国民新・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・二十五年前には大外交家小村侯爵はタシカ私立法律学校の貧乏講師であった。英雄広瀬中佐はまだ兵学校の寄宿生であった。 二十五年前には日清、日露の二大戦役が続いて二十年間に有ろうと想像したものは一人も無かった。戦争を予期しても日本が大勝利を得・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・が、犬ぶりに由て愛憎を二つにしない二葉亭は不便がって面倒を見てやったから、犬の方でも懐いて、二葉亭が出る度毎に跟を追って困るので、役所へ行く時は格子の中に閉じ込めて何処へも出られないようにして置いた。その留守中は淋しそうにションボリして時々・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・桜井女学校の講師をしていた時分、卒業式に招かれて臨席したが、中途にピアノの弾奏が初まったので不快になって即時に退席したと日記に書いてある。晩年にはそれほど偏意地ではなかったが、左に右く洋楽は嫌いであった。この頃の洋楽流行時代に居合わして、い・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・殊にテオドラ嬢の父は元老院議官であったが、英国のセネートアの堂々たる生活ぶりから期待したとは打って変った見窶らしい生活が意に満たないで、不満のある度に一々英国公使に訴え、公使がまた一々取次いで外相井侯に苦情を持込むので、テオドラ嬢の父は事毎・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・お姫さまは、その皇子をまだごらんにならなかったばかりでなく、その国すら、どんな国であるか、お知りにならなかったのです。「さあ、どうしたものだろうか。」と、お姫さまは、たいそうお考えになりました。それには、だれか人をやって、よくその皇子の・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・くまは、かごの格子の目から、大きな体に比較して、ばかに小さく見える頭をば上下に振って、あたりをながめていました。「なるほど、ここは家ばかりしか見えませんね。私は、ここまでくる長い間、どれほど、あなたがたが自由にすめる、いい場所を見てきた・・・ 小川未明 「汽車の中のくまと鶏」
出典:青空文庫