・・・村の労銀というのは恐らく従来の救済工事の日当や日傭労働賃銀を標準にしてのことであったろう。むしろ意外な苦情を受けた専門家たちは「労銀が多すぎる為に起る弊害について大いに考えさせられた。副業が本業になることを恐れるためである」その問題は、それ・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・間に小さく故工学博士渡辺 渡邸を挾んで、田端に降る小路越しは、すぐ又松平誰かの何万坪かある廃園になって居た。家の側もすぐ隣は相当な植木屋つづきの有様であった。裏は、人力車一台やっと通る細道が曲りくねって、真田男爵のこわい竹藪、藤堂伯爵の樫の・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・ 杉林の隣りに細い家並があって、そこをぬける小路の先は、又広々とした空地であった。何でも松平さんの持地だそうであったが、こちらの方は、からりとした枯草が冬日に照らされて、梅がちらほら咲いている廃園の風情が通りすがりにも一寸そこへ入って陽・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・白樺の細い丸木を組んだ小橋が、藪柑子の赤い溝流れの上にかかったりしていたところからそこへ入って行ったので、乾きあがって人気ない湯殿の内部は大層寂しく私たちの目にうつった。 そしたら、その湯殿が、広業寺の温泉なのだった。尼さんは、いい年な・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・ で恋愛は自由というけれども、公事ではないから、自分の私事問題だ。これが社会的に問題となって各自責任があるのは、女のもっている、或は男のもって居る社会人としての責任義務を通して社会一般の問題となって行くだけである。 恋愛を其の日の事・・・ 宮本百合子 「ソヴェトに於ける「恋愛の自由」に就て」
・・・で恋愛は自由というけれども、公事ではないから、自分の私事問題だ。これが社会的に問題となって各自責任があるのは、女のもっている、或は男のもっている社会人としての責任義務を通して社会一般の問題となって行くだけである。恋愛をその日の事業として暮す・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・八月、岩手、秋田地方へ朝日主催の自由大学講師として宮本と二人で出席した。九月、四国地方の党会議に出席をかねて旅行した。この年は文化、生産の各場面に民主化のための闘争が起って、十月から十二月のはじめまで、もっとも高い波であった。年・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 参吉は或る私立大学の講師をしている傍ら、近代英文学の社会観とフランス文学のそれとの比較をテーマに研究しているのであった。「うちの伍長さんだって危いもんだわ」外套のボタンをはずしながら好子が云った。「落着かないわねえ。何万人もが・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・山岸博士の推薦によって早稲田大学の講師となる。 一九一八年。記すべきほどのことなし。ただかなり真面目に勉強し続けていたので、肚の中に何かが漸く発育し始めたような気がする。 一九一九年。「津村教授」を帝国文学に発表。一行の批評も受けず・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・いかたで表現すれば人類はたった二十世紀で、自身の発見した原子力によって壊滅してしまわなければならないものなのか、それとも、より発展した多数者の理性の協力で、原子力を支配する力をコントロールして、もっと高次の、幸福のある社会生活に進むことを可・・・ 宮本百合子 「私の信条」
出典:青空文庫