・・・それから十五歳の時には、もう魚家の少女の詩と云うものが好事者の間に写し伝えられることがあったのである。 そう云う美しい女詩人が人を殺して獄に下ったのだから、当時世間の視聴を聳動したのも無理はない。 ―――――――――・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・それであるから、桂屋太郎兵衛の公事について、前役の申し継ぎを受けてから、それを重要事件として気にかけていて、ようよう処刑の手続きが済んだのを重荷をおろしたように思っていた。 そこへけさになって、宿直の与力が出て、命乞いの願いに出たものが・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・総身の羽が赤褐色で、頸に柑子色の領巻があって、黒い尾を長く垂れている。 虎吉は人の悪そうな青黒い顔を挙げて、ぎょろりとした目で主人を見て、こう云った。「旦那。こいつは肉が軟ですぜ。」「食うのではない。」「へえ。飼って置くので・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・ 今年の正月から清武村字中野に藩の学問所が立つことになって、工事の最中である。それが落成すると、六十一になる父滄洲翁と、去年江戸から藩主の供をして帰った、二十九になる仲平さんとが、父子ともに講壇に立つはずである。そのとき滄洲翁が息子によ・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・「安次も提灯もあったもんか、えらい高次じゃ。」 秋三は店の間をぐるりと見廻した。が、勘次に逢うのが不快であった。彼はそのまま、帰ろうと思って敷居の外へ出かけると、「秋公帰ぬのか?」と安次が訊いた。「もう好えやろが。」「云・・・ 横光利一 「南北」
・・・は石清水物語と呼ばれている部分で、信玄や老臣たちの語録である。これは古老の言い伝えによったものらしいが、非常におもしろい。は軍法の巻で、何か古い記録を用いているであろう。は公事の巻で、裁判の話を集録しているが、文章はに似ている。は将来軍記で・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・巨椋池はその後干拓工事によって水位を何尺か下げた。前に蓮の花の咲いていた場所のうちで水田に化したところも少なくないであろう。それに伴なって蓮の栽培がどういう影響を受けたかも私は知らない。もし蓮見を希望せられる方があったら、現状を問い合わせて・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・田中、得能、紀平などの諸氏は、当時東京大学の哲学の講師の候補者であったらしい。西田先生はその八月の末に東京に移られたが、九月には井上、元良、上田などの諸氏としきりに接触していられる。そうして十月十日の日記には「午前井上先生を訪う。先生の日本・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
・・・成瀬氏は大学卒業後まだ間のないころであったが、すでにドイツ文学の講師となっており、同僚の立場から先生を見ることができたのである。氏によると、先生は非常にきちょうめんで、大学の規定は大小となく精確に守られた。同僚の教師たちがなまけて顔を出して・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫