・・・ 買物があるという姑を八百屋の店に残して、彼は暗い星の冴えた小路へ急ぎ足で入った。 梶井基次郎 「雪後」
・・・日本全国、どこの城下も町は新しく変わり、士族小路は古く変わるのが例であるが岩――もその通りで、町の方は新しい建物もでき、きらびやかな店もできて万、何となく今の世のさまにともなっているが、士族屋敷の方はその反対で、いたるところ、古い都の断礎の・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 弁公親子はある親分について市の埋め立て工事の土方をかせいでいたのである。弁公は堀を埋める組、親父は下水用の土管を埋めるための深いみぞを掘る組。それでこの日は親父はみぞを掘っていると、午後三時ごろ、親父のはね上げた土が、おりしも通りかか・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・この港の工事なかばなりしころ吾ら夫婦、島よりここに移りてこの家を建て今の業をはじめぬ。山の端削りて道路開かれ、源叔父が家の前には今の車道でき、朝夕二度に汽船の笛鳴りつ、昔は網だに干さぬ荒磯はたちまち今の様と変わりぬ。されど源叔父が渡船の業は・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・あたりを見るとかしこここの山の尾の小路をのどかな鈴の音夕陽を帯びて人馬いくつとなく麓をさして帰りゆくのが数えられる、馬はどれもみな枯れ草を着けている。麓はじきそこに見えていても容易には村へ出ないので、日は暮れかかるし僕らは大急ぎに急いでしま・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・すなわち将来学士となるという優越条件を利用して、結婚を好餌として女性を誘惑することだ。これは人間として最も卑怯な、恥ずべき行為である。どんなことがあっても、これだけはやってはならない。これはもう品性の死である。こうした行為をする者が将来社会・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・潭水湖の電気事業工事のために、一日十五六時間働かして僅かに七銭か八銭しか賃銀を与えず、蕃人に労働を強要したのだ。そしてその電気事業のために、蕃人の家屋や耕作地を没収しようとしたのだ。蕃人の生活は極端に脅かされた。そこで、 蕃人たちは昨年十月・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・徳川時代、諸大名の御前で細工事ご覧に入れた際、一度でも何の某があやまちをしてご不興を蒙ったなどということは聞いたことが無い。君はどう思う。わかりますか。」 これには若崎はまた驚かされた。「一度もあやまちは無かった!」「さればサ。・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・はじめ明の成化弘治の頃、朱陽の孫氏が曲水山房に蔵していた。曲水山房主人孫氏は大富豪で、そして風雅人鑑賞家として知られた孫七峯とつづき合で、七峯は当時の名士であった楊文襄、文太史、祝京兆、唐解元、李西涯等と朋友で、七峯のいたところの南山で、正・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・廷珸は大喜びで、天下一品、価値万金なんどと大法螺を吹立て、かねて好事で鳴っている徐六岳という大紳に売付けにかかった。徐六岳を最初から廷珸は好い鳥だと狙っていたのであろう。ところが徐はあまり廷珸が狡譎なのを悪んで、横を向いてしまった。廷珸はア・・・ 幸田露伴 「骨董」
出典:青空文庫