・・・は生れぬものとすれば、そういう詩、そういう文学は、我々――少くとも私のように、健康と長寿とを欲し、自己及自己の生活を出来るだけ改善しようとしている者に取っては、無暗に強烈な酒、路上ででも交接を遂げたそうな顔をしている女、などと共に、全然不必・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ そこで文章の死活がまたしばしば音調の巧拙に支配せらるる事の少からざるを思うに、文章の生命はたしかにその半以上懸って音調の上にあることを信ずるのである。故に三下りの三味線で二上りを唄うような調子はずれの文章は、既に文章たる価値の一半を失・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・二人の雇人は薄暗い電燈の下で、浮かぬ顔をして公設市場の広告チラシの活字を拾っていた。赤玉から遠のこうと、なんとなく決心した。 しかし、三日経ってまた赤玉へ行くと、瞳は居らず、訊けば、今日松竹座アへ行くいうたはりましたと、みなまできかず、・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・川添の公設市場。タールの樽が積んである小屋。空地では家を建てるのか人びとが働いていた。 川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺になった新聞紙が押されて行った。小石に阻まれ、一しきり風に堪えていたが、ガックリ一つ・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ご高説だったが……「――君は僕の気を悪くしようと思っているのか。そう言えば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追払うえびす三郎に似ている。そういう俗悪な精神になるのは止し給え。 僕の思っている海はそんな海じゃないんだ。そんな既に結・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・ と言って自分も市営の公設市場へ行く道で何度もそんな目に会ったことを話したので、吉田はやっとそのわけがわかって来はじめた。それはそんな教会が信者を作るのに躍起になっていて、毎朝そんな女が市場とか病院とか人のたくさん寄って行く場所の近くの・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・技術の巧拙は問う処でない、掲げて以て衆人の展覧に供すべき製作としては、いかに我慢強い自分も自分の方が佳いとは言えなかった。さなきだに志村崇拝の連中は、これを見て歓呼している。「馬も佳いがコロンブスは如何だ!」などいう声があっちでもこっちでも・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・自分は尺八のことにはまるで素人であるから、彼が吹くその曲の善し悪し、彼の技の巧拙はわからないけれども、心をこめて吹くその音色の脈々としてわれに迫る時、われ知らず凄動したのである。泣かんか、泣くにはあまりに悲哀深し、吹く彼れはそもそもなんの感・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・燈をかかげて戸外をうかがう、降雪火影にきらめきて舞う。ああ武蔵野沈黙す。しかも耳を澄ませば遠きかなたの林をわたる風の音す、はたして風声か」同十四日――「今朝大雪、葡萄棚堕ちぬ。 夜更けぬ。梢をわたる風の音遠く聞こゆ、ああこれ武蔵野の・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・一日某新聞社員と名刺に肩書のある男尋ね来り、室に入りて挨拶するや否、早速、先生の御高説をちと伺いたし、と新聞屋の悪い癖で無暗に「人を食物にする」会話を仕出す。ところが大哲学者もとより御人好の質なれば得意になッて鼻をクンクンいわせながら饒舌り・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
出典:青空文庫