・・・ネ、ハイなるほどそうですネ、と云っていると、東坡巾の先生はてんぜんとして笑出して、君そんなに感服ばかりしていると、今に馬糞の道傍に盛上がっているのまで春の景色だなぞと褒めさせられるよ、と戯れたので一同哄然と笑声を挙げた。 東坡巾先生は道・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・ 此処は当時明や朝鮮や南海との公然または秘密の交通貿易の要衝で大富有の地であった泉州堺の、町外れというのでは無いが物静かなところである。 夕方から零ち出した雪が暖地には稀らしくしんしんと降って、もう宵の口では無い今もまだ断れ際にはな・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 今時分、人一人通ろうようは無い此様なところの雪の中を、何処を雪が降っているというように、寒いも淋しいも知らぬげに、昂然として又悠然として田舎の方から歩いて来る者があった。 こんなところを今頃うろつくのは、哀れな鳥か獣か。小鳥では無・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。地獄の思いの恋などは、ご当人の苦しさも格別でしょうが、だいいち、はためいわくです。 気の持ち方を、軽くくるりと変え・・・ 太宰治 「おさん」
・・・そうしてわたくしの恋愛を潔く、公然と相手に奪われてしまおうと存じました。」「それが反対になって、わたくしが勝ってしまいました時、わたくしは唯名誉を救っただけで、恋愛を救う事が出来なかったのに気が付きました。総ての不治の創の通りに、恋愛の・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・このように弟子たち皆の前で公然と私を辱かしめるのが、あの人の之までの仕来りなのだ。火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在るのだ。犬か猫に与えるように、一つまみのパン屑を私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・大隅君は昂然と言った。 銭湯から帰って、早めの夕食をたべた。お酒も出た。「酒だってあるし、」大隅君は、酒を飲みながら、叱るような口調で私に言うのである。「お料理だって、こんなにたくさん出来るじゃないか。君たちはめぐまれ過ぎているんだ・・・ 太宰治 「佳日」
私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依って所謂浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしく・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・ 細田氏ひとりは、昂然たるものである。「はい、はい。」 何気ないような快活な返事をして、細君は彼に薬缶を手渡す。 彼が部屋を出てから、すぐに私は細君にたずねた。「いつから、あんなになったのですか?」「え?」 と、・・・ 太宰治 「女神」
・・・たとえ公然と表立ってそれを指摘し攻撃する人がないとしても、それを審査し及第させた学者達は学界の環視の中に学者としての信用を失墜してしまわねばならないし、その学者の属する学団全体の信用をも害しない訳には行かない。従って審査委員自身は平気で涼し・・・ 寺田寅彦 「学位について」
出典:青空文庫